第二章 探求者
そこは、王都の中でも最高級の芸術の粋を集めたような部屋だった。
その中で、同じく自身も芸術作品のような男が楽しそうに笑っている。
「咲也……何やってんだ?」
荷厳が、恐る恐る訊ねると、咲也と呼ばれた男はくるりと振りむき、
腰まで伸びた長い黒髪が男の動きに合わせて優雅に揺れる。
「あっ先輩! 良いところに!」
咲也は人懐こい笑みを浮かべる。その言動は、芸術作品からはかけ離
れ、むしろ犬に近い。
「これ、見てくださいよ! これ!」
ずいっと差し出された鍋の中には、黒い小さな塊がいっぱいあった。
「何だ、コレ!?」
荷厳は鼻を押さえて後ずさる。それはとても焦げ臭い。
「何か匂うと思ったら、この匂いか!?」
匂いは部屋中に広がっていた。この部屋は、咲也のものだが、その一
室を荷厳が占領している。ちなみに、咲也の部屋は日本の一般家庭を遥
かに凌ぐ面積のため、一室くらい占領していてもまったく問題ない。むし
ろ、あと5、6人は軽く住めそうだ。
「フフフッ、これはコーヒーです」
なぜか自信満々の咲也に、荷厳は目を細める。決して、微笑ましくて目
を細めた訳ではない。
「先輩。そんな、哀れむような目をしないでくさいよ」
「……医者に行って来い」
「まぁまぁ、そんなことは、これを飲んでから言ってください!」
咲也は、焦げた鍋の中にお湯を足し、その液体を杯に注ぐと、荷厳に
笑顔で差し出す。
「この臭くて黒い液体を……飲めと?」
嬉しそうに頷く目の前の男を殴りたい。
「これはもう世紀の大発見っすよ! 俺、昨日これ飲んで、懐かしくて涙ぐ
んでしまいました!」
昨日も作ってたのかと呆れながらも、そこまで言うのなら、と思い口をつ
ける。
「……」
荷厳は、無言で杯を置くと、咲也に右手を差し出す。
「山中先輩!」
満面の笑みでその手を握り返す咲也。そのとたんに世界は反転した。
「不味いんじゃ、ボケェエエ!!!!」
「がはっ!?」
見事な背負い投げが決まり、咲也は敷き詰められたフカフカな絨毯の
上に叩きつけられた。
「いっつ……」
「受身を取れ、受身を!」
足元で蠢く咲也を荷厳は一瞥する。
「くっ、う、有段者が、初心者を本気で投げないでください……俺、こっちに
来る前、受身の取り方すら知らない、新入部員だったんすから」
「あっ悪い」
そういえばそうだったな、と思いとりあえず謝る。しかし、咲也は豪快に
笑い出した。
「あはははは」
腹をよじり、絨毯をばんばん叩きながら、涙目で爆笑している。
「……大丈夫か? 医者に……」
さすがに心配になった荷厳に、咲也はぐっと親指を立てた。
「いやぁ、先輩最高! 今の俺たち最高に面白かったっすよ!
まさか、あそこで背負い投げがくるとは!?
はぁああ、先輩のツッコミの才能が恐ろしい」
「……俺はお前の脳内構造が恐ろしい……」
咲也は、しばらくの間、笑い転げた後、涙をぬぐいながら立ち上がる。
「はは……はぁ」
その顔には、爽快さが見て取れる。
「でも、マジな話しいろいろ試した結果、これが一番コーヒーに近かったん
すけど?」
咲也は、躊躇いもなく黒い液体を口に含む。
「この苦味が、近くないですか?」
「うーん……」
その質問に荷厳ははっきり答えることができない。なぜなら、ここに来て
から10年ほど、コーヒーを一度も飲んでいないからだ。この世界には、お
茶はあってもコーヒーはない。
「ところでそれは何だ?」
鍋の中にプカプカ浮いている焦げた物体を指差す。
「米っすよ。米を何時間もかけて炒ったものです。……まぁ今日は、やりす
ぎて焦げてしまったんですけど」
「失敗してるじゃねぇか!?」
「はは、そうっすね」
「そうっすね、じゃねーよ!?ああ、もういい、お前と話してたら疲れる」
荷厳は、準備していた荷物を引っ張り出すと、その中に食料を詰めだし
た。
「先輩、またどっか行くんすか?」
「ああ、もうすぐ戦が始まるだろ?」
そのとたんに咲也の表情は、さっと引き締まり人懐こい犬から芸術品へ
と変わる。
「そうですね。光州がこのままで済ますとも思えないですし、王都としても、
光州を放置する訳には行きませんからね」
その顔に、お笑い好きの後輩の面影はない。
「ちょっと調べたいことがあってな。珪南に行ってくる」
「珪南……」
咲也の眉が僅かにしかめられる。
「珪将軍ですか?」
その一言で、荷厳が調べたようとしていることを、咲也が理解したことが
分かる。
「もし、俺らの仮説通りだったら、過去にお前と敵対していた珪将軍は“拠
りひと”だった可能性が高いからな」
この世界の真理を見つけるためには、仮説を立てて一つ一つ潰してゆく
しか方法はない。咲也は先ほどとは打って変わって真剣な表情で何かを
考え込んでいる。
「先輩……」
その声は、とても暗い。
「俺らって、この世界で死んでしまったらどうなるんでしょうか? 今まで俺
が戦ってきた人達が本当に拠りひとだったら、その人達は……」
荷厳は、少し強めに咲也の頭を叩く。
「ばーか、それを今調べているんだろうが!」
わざと明るく大きな声を出す。咲也は、叩かれた頭を痛そうに撫でなが
ら苦情を言った。
「先輩、関西人に馬鹿って言わない方がいいっすよ?」
「はぁ?」
咲也はひどく深刻な顔をする。
「馬鹿と阿呆は同じ意味のようですが、関西人にとってそこには埋められ
ない深い溝があるんです。“お前阿呆やなぁ”と“君は馬鹿だね”には、天
と地ほどの差が有るんです!!」
拳を握り熱弁する。そのような咲也の姿をみて、荷厳はため息をついた。
「お前がこの世界の最高権力者かと思うと、ぞっとするよ」
「先輩、違いますよ。俺は、この世界の最高権力者の“右側(うそく)”なだ
けです」
右側(うそく)とは、王に最も信頼されている者をさす。この世界で王の
信頼を得て、人々に敬われ恐れられている男は、無邪気な子どものよう
ににこりと笑った。
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