光凌(こうりょう)が気がつくと、身体が横になっていた。
頭に生暖かい温度を感じる。なぜか左手の感覚が麻痺している。
横に目をやると足が見えた。そして、己の手が何かを掴んでいることに気
がつく。

「!?」

 その正体に気がつき、がばっと起き上がると、妙な体勢で腕の血が止
まっていたのか、どくどくと流れ出す。

「なんだ!?」

 痛む頭を抑えつつ、おぼろげな記憶を呼び起こそうとする。

 父上の下へ行き、千凛の死を知り、現状から察するにおそらく無様に
倒れでもしたのだろう。
今、思い出しただけで、心臓を握りつぶされたかのような痛みが走る。
それでも、泣きも叫びもしなかったのは、傍に香(かおる)がいたからだっ
た。

 高すぎる矜持がこれ以上無様な姿をさらすことを拒む。

 未だすやすやと眠る香を張り倒してやろうかと思ったが、振り上げた手
はピタリと止まる。力のままに掴んでいたのだろう。香の手首は、光凌が
掴んだ形のまま青く内出血している。

「……くっ」

 今はそんなことをしている場合ではない。悲しんでいる場合でもなけれ
ば、むしろ八つ当たりをしている場合でもない。

「……敵(かたき)は必ず取る」

(お前をそんな目に合わせた連中は、必ず私が見つける。
 そしてお前があった以上に惨い殺し方をしよう。
 だから……だから、少しだけお前の死を忘れようとする私を許してくれ)

 忘れることなど決してできない、それでも光凌は無理やりに己の感情に
蓋をする。立ち上がり、身体にどこも異常がないことを確認すると、香を
軽く足で蹴る。

「ふわっぁ!?」

 驚き寝ぼける香を見下ろし、光凌は力強く告げる。

「この戦、必ず勝つぞ。お前の猿知恵、一滴残らず搾り出せ」

 少し混乱したものの、しだいに意味を理解したように、香の表情は明る
くなる。

「はい! 赤皇(せきこう)のお役にたてるなら!」

 このとき、初めて二人の意見は奇跡的に一致した。
それと同時にお互いの悪印象も僅かに修正が入る。

(お前の存在は認めんが、その奇抜な発想だけは認めてやろう)
(あんたのことは殴りたいくらい大っ嫌いだけど、頭がいいのは認めるわ)

 ただ一歩だけの歩み寄り。しかし、それはとても重要な一歩だった。

 光凌は、すぐさま布山近辺の地図を広げ、白軍に見立てた駒を並べて
いく。

「何でもいい、思いついたことは全て話せ」

 綺麗に並べられてゆく駒を見つつ、香は無言で頷く。

「まず、今までの作戦はいかにこちらが生き残るかだった。
 これからは、いかに相手を撤退させるかに重点を置く。
 この兵数差では、殲滅はできんからな。だからこそ、敵を撤退させれば
我らの勝利だ」

(……そうなんだ)

「数で勝っている敵が撤退する理由は何通りかある。
 まず、軍の指揮をとっている者の死。兵糧不足。疫病の発生だ」
「疫病は……期待できませんね」

「当たり前だ、そんなものを自らの意思で起こせる者がいたら、私は迷わ
ず処断するぞ。しかし、指揮系統を叩くことも難しい。
 敵の采将軍は馬鹿ではないし、李清は……言いたくないが使える人物
だ」

 香が微妙な顔をすると、光凌が「なんだ?」と眉を潜める。

「いえ、光凌様も人を褒めることもあるのですね」

(……どういう意味だ。この餓鬼、私に「お前に人を見る目というものが存
在したのか?」とでも言いたいのか)

 香は特に深く考えた発言ではなかったが、光凌の目が冷酷に細められ
る。

「安心しろ、お前には一生縁のないことだ」
(この男……本当に殴りたいよ)

 お互いの心証の良し悪しを除けば、たった二人の軍議はさくさく進む。

「となれば、残るは兵糧を叩く以外ない。
 今回の戦は、長期戦のつもりはまったくない。
 おそらく、父上が事前に気がついていなければ、赤皇を挟み撃ちにして
殲滅した後、仲間の振りをしたまま、背後から光軍を叩くつもりだったの
だろう」

 そうなれば、ひとたまりもなかった。そして、その後王都ではこう発表さ
れるだろう。

(赤皇と内通していた光軍は、謀反を起こしたため、反逆罪で処断され
た)

 ならば、無実の罪を着せられる前に、自(みずか)ら謀反人になってしま
う所は、光領の豪胆さが伺える。

「長期戦の準備がないということは、現在敵軍が持っている兵糧を叩く
と、敵は撤退しなければならないということだ。……理解しているか?」

 香の間抜け面が心配になり思わず確かめる。

「要するに、腹が減っては戦ができぬということですよね!?」
「……ああ? ……ちょっと待て、間違ってはいないが、有ってもいない気
がするのは私だけか? しかも何だ、そのうまい例えは!?」

 頭を抱える光凌を見て、香は訂正する。

「えっと、敵が持っている食料を無くしてしまえば、もう私達を追ってこれな
いということですか?」
「……そうだ」

(理解しているではないか)

 なら、初めからそういえばいいのだと内心悪態を着く。
そんな光凌に気がつかず、香は地図を指した。

「敵の食料はどこにあるんですか?」

 質問もまったくの的外れではない。

「食料ではなく兵糧(ひょうろう)と言え。兵糧は最後尾だ。なぜなら今回背
後から攻撃される可能性がないからだ」
「どうやって後ろに回るんですか?」
「回る必要はない。敵は大胆にも布山を通ってきている」

 光凌は地図上の山間に、駒を一直線に並べる。

「両脇は岩肌だ。我らが岩肌の上に周り、兵糧に火矢を射掛ける……と
まぁこれは机上論だ。実際の所、実行する兵士が足りん。
 実行できても、火が消されればどうすることもできんのが現状だ。
 赤皇と父上、そしてある程度の兵士を正面に置かねば、作戦事態がば
れてしまう可能性がある」

 敵の目を欺くために、どうしてもそれは必要だった。

「あ……」
「なんだ?」

 訝しがりながらも、光凌は香の意見を促す。

「よく考えたら、正面には赤皇と将軍と、光軍の兵士だけでいいじゃない
ですか。光軍の人たちって鎧とか派手だし……それだけいれば十分見目
が良いですよ?」

 香の馬鹿そうな物言いをゆっくりと租借する。二人の会話では、香は光
凌の堅苦しい言葉を、理解できるように簡単に訳し、光凌は香の段階を
踏まえない発言の真意を探る必要がある。

「……なるほど。本軍をおとりとし、側面攻撃を厳巌(げんがん)殿の隊に
任せるということか」
「え? はい、良く分かりませんが、たぶんそんな感じです。
 でも、それだけだと厳巌さんに怒られそうなので、光軍にも少しだけ手
伝ってもらったほうがいいかも?」

 光凌は斥候からの情報が書かれた書簡に目を通す。
そこには、軍議で新たに分かった情報も書き加えている。

「兵士が30、斥候部隊が20…光軍から1部隊か」

 はっきりいって、赤軍がどこまで使えるか分からない今、良案とは言え
ない。悩む光凌に香は畳み掛けた。

「光軍の人たちが慣れない山歩きするより、
 山間の村に住んでた赤軍の皆に任せたほうが良い……と思いますよ。
 皆さん、普段からガンガン狩りとかしてますし……」

『今日はご馳走だぞ』と言って、そこらへんの鹿よりでかい猪を、
赤皇に嬉しそうに見せられたときはどう答えたか迷ったものだ。

「分かった、そこまで言うならお前が厳巌殿の許可を取って来い。
 俺は、この策を父上と赤皇に通してくる。日が落ちる前に話をつけるぞ」
「あっはい!」



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