「ん、じゃあさっそく歓楽街に行こうぜ。若い子がいっぱいいるところがい
い」

 本当に偉い人のお忍びなのだろうか。南里は遊ぶ気満々だ。雪之丞も
異論を唱える様子は無い。

「心得ました。綵はほぼ全体的に飲食店や興行場などを行っている歓楽
街ですが、若者が多いのは城壁の周辺になります」

 雪之丞の言う通り、綵は内から外へと丸く広がっていった町なので、外
に行くほど建物が新しくなり、新しい物には若者が集まってくる。

 それとは逆に、紬が勤める文衛省など、都市機能を維持するための建
物は、皆古いため中心部分に集中している。

 そして、町へ入るための入り口は四箇所。それぞれ、北門、南門、西
門、東門と何のひねりもない名前がつけられている。  
 
 この三点さえ分かっていれば、この町で迷うことはほとんど無い。けっこ
うな広さがあるのに、後は「なんとなくここらへんに行きたい」で、辿り着い
てしまうのだ。もしも迷ってしまった場合は、門の付近にある小さな番所
で、衛官士に聞いてみるのも手だ。

 そんな分かりやすい綵を案内するために、先頭を雪之丞が行き、その
少し後ろを歩く南里に話しかける。

「南里殿は、綵は初めてですか?」
「ああ、話には聞いていたけど、実際に来たのは初めてだ」

 両脇の店を眺めながら、南里はへらりと口元を緩める。その表情は、こ
の町が生み出す、ありとあらゆる赤と紫の世界を楽しんでいるように見え
た。それなのに。

「いやぁ、ここは綺麗すぎて目に痛い」

 褒めているのか貶しているのか。どうも南里の言動は先が予想できな
い。

(変な人……)

 男二人の後ろを少し離れて歩いている紬は、嫌なことに気がついてしま
う。
 先ほどから、通り過ぎる女性の瞳がキラキラと輝いているのだ。その視
線の先は、もちろん雪之丞。

「見て見て、あそこの二人」
「カッコいい!」
「雪之丞様だわ」
「隣の殿方も素敵!」
(え?)

 女性達の桃色の囁きを聞いて初めて気がついたが、南里は雪之丞とは
また違った見目の良さがある。長身で色白な所といい、華やかでお洒落
な服装といい、洗練された美青年だ。

 さらに、硬派な雪之丞とは違い、南里の持つ軟派な雰囲気は、良く言え
ば色気があるとも言えるのかもしれない。

(でもま、二人とも変態だけどね)

 いくら外見が良くても変態はいただけない。紬としては、白馬の王子様な
んていらないから、普通の常識人が良い。
 観光は何事もなく進んでいく。南里自身、とても暢気に過ごしていて誰か
に狙われているといった様子もない。

(本当の本当にただの観光?)

 なんとなくだが、どこかの偉い人の放蕩息子なのではないだろうか。そ
れならば、今の状態も納得できる。
 四つの門をくるりと回ると、南里は「休憩休憩〜と」と鼻歌を歌いながら
青紫色のベンチに座る。

「雪之丞君、何か適当にジュースと食べ物買って来て」
「は」

 嫌な顔一つせず命令を遂行する雪之丞。きっと、今日は南里が主だと
割り切っているのだろう。こういう真っ直ぐな姿勢を見てしまうと、やっぱり
尊敬してしまう。

(私も頑張らないと)

 少し反省していると、南里がおいでおいでと手招きしている。

「はい」

 素直に近づくと、隣に座るように勧められる。初対面時の絶対領域発言
を思い出し、少し躊躇ってしまったが、ここは雪之丞を見習って大人しく言
うことを聞いておく。

「児玉ちゃん」

 黙っていればカッコいいのに、南里の発言は、すこし親父臭い。雪之丞
とそう年齢が違わないように見えるのに、どうしてこんな雰囲気が出せる
のか。

「雪之丞君ってどんなやつ?」

 それは予想外の質問だった。そして、その後に続いた台詞に耳を疑う。

「彼女とかっているの?」

 南里の顔には、またへらりとやる気のない笑顔が浮かんでいる。

「いないと思います」
「じゃあ、結婚する気はありそう?」
「今の所はないんじゃないでしょうか」

 質問を聞けば聞くほど、嫌な想像が浮かんでしまう。

(もしかして、この人雪之丞様狙いなんじゃ……)

 雪之丞は、その外見から女性にとてももてるが、侍を貫くその内面では
男性人気が異常に高い。もちろん、衛官士の部下達にもとても慕われて
いる。そんな雪之丞だからこそ、南里のような人が出てきてもおかしくな
い。

(でも、雪之丞様ってノーマルだから無理だよね……。あれ? あの人は
ノーマルか? ああ、変態同士でお似合いなのかも?)

 とっさに二人がうまくいった場合の児玉家の損得を計算してしまう。そん
な紬を他所に、南里はにやにやしながら自らのアゴを人差し指で触った。

「ま、どっちにしろ雪之丞くんには結婚してもらいますか」

 予想外すぎる言葉に、紬の思考は吹き飛ぶ。

「そこまでの覚悟を!?」

 気がついたらそう叫んでいた。南里は、「は?」と小さく顔を前に出してい
る。

「はい? 覚悟?」
「南里様がそこまでお考えなら私が口を挟むことは何もありません」

 結婚する気があるかどうかという質問は、雪之丞への探りかと思ってい
たが、南里の覚悟は紬の想像を遥かに超えていたようだ。

(は!? そうだわ! お二人がご結婚されたら、私が雪之丞様を起こし
に行く必要がなくなるじゃない)

 それはとても有り難い。雪之丞が裸で寝ていようが、愛し合った二人な
ら、きっと受け入れられるだろう。
 隣に座る南里の白く大きな手を、紬はぎゅっと握り締める。

「南里様、雪之丞様は少し変わったところがありまして……。見た目は大
変宜しいですが、その、内面的に少しいいかげんな所が。いやでも、しか
し、侍としてとても尊敬出来る方ですので、どうか外だけは無く内も生暖か
く受け入れていただければと……」

「ちょっと待て。これは何のアドバイスをされてるんだ、俺!?」

 急に慌て出す南里。きっと、雪之丞への思いを見破られて驚いているの
だろう。

「大丈夫です。茨の道ですが、私は応援させていただきます」
「児玉ちゃん? ちょっと落ち着こうか? 俺としたことが産まれて始めて
現状を把握できない」

「ご安心ください。私は理解しています。南里様、どうか雪之丞様をよろしく
お願いします」

 しばらく手を取ったまま互いに見詰め合っていたが、南里のほうが先に
事態を理解したようだ。くわっと目を見開いて、力いっぱい否定する。

「ない! ないないない! それだけはない! なぜなら俺は女の子が死
ぬほど好きだからだ!」
「あれ? そうなんですか?」

「その真顔やめてぇえ! ピュアな瞳でとんでもない誤解するのだけはや
めてくれ! 俺は女の子が好きなの! 分かった?」

 荒々しく南里に掴まれた両肩には、痛いほど力が込められている。出会
って初めて見る真剣な表情に、紬は「この人、こんな表情も出来るんだ」と
暢気な感想を持つ。

「分かりました。女性がお好きなんですね?」
「うん、そう大好き! だから、そんなぶっ飛んだ誤解をされるぐらいだっ
たら、俺はここで腹を切る!」
「公共の場での切腹はやめてください」

 こんな真昼間から公共の場で切腹をされたらたまったものではない。紬
が真顔で止めると、南里は元のにやけ顔に戻る。

「あ、うん。俺、児玉ちゃんのそういう無駄に冷静な所、けっこう好きだぜ」

 褒められているのか貶されているのか。

 そんなやりとりをしていると、噂の張本人の雪之丞が戻ってきた。手に
はも、ジュースとそこらへんの売店で買って来たであろう巨大焼き鳥があ
る。ちなみに巨大焼き鳥は、三十センチくらいある大きな焼き鳥だ。

 数あるお洒落な食べ物を全て無視して、焼き鳥を選ぶ辺り、なんとなく
雪之丞らしい気がする。

「お、ありがと!」

 笑顔で受け取ると、楽しそうに食べ始める。当たり前だが、衛官士は護
衛中の飲食は極力避ける。やむおえず取るとしても、護衛が護衛対象と
同時に食事をすることはない。

 南里は、そういうことを知っているのか、ただ単に周囲を気にしない性格
なのか、こちらを気にもせずとにかく一人でぺろりと平らげた。

「さてと、戻るか」

 立ち上がり、元来た道へと歩き出す。観光は四時間程だった。特に何を
した訳でもないが、南里はとても満足そうだ。

(やっぱりこの人、雪之丞様を見ていたんだわ。結婚とか言っていたか
ら、偉い人の娘さんの婿探しに来たとか? あれ? ちょっと待って。南里
って書いて、ナンリって読む偉い人いなかったっけ? でも、こんなに若い
はずないし……。ということは、ナンリ様の代理で来た人とか? もしそう
なら、雪之丞様ってば、今まで以上に出世街道まっしぐらじゃない!)

 それは、葵地に仕える児玉としても悪い話ではない。本当なら紬自身の
実力で児玉家を有力な武家へと立て直したいが、残念ながらそれほどの
剣の実力は無い。それは紬自身が良く分かっていることだ。分かった上で
衛官士をしている。

(そんなことで諦めるようだったら、初めから衛官士になんてなっていない
わよ)

 目標を達成するためならなりふり構っていられない。誰になんと言われ
ようと、紬はそれを己の美点だと思っている。

 太陽が真上から少し傾いた頃、三人は揃って文衛省に戻って来た。
 戻ってきたとたんに、貴彦が出迎えたのを見て、やはり南里は偉い人に
係わり合いがあるのだと確信する。

「皆さん、お帰りなさい」

 にこりとたんぽぽのような笑顔を浮かべて、文官士の客間へと案内され
る。上座に座るのは、もちろん南里だ。

「さってっとぉ。簡潔に言うぞ、貴彦」

 こくりと頷いた貴彦の手元には、紙と筆ペンが持たれている。

(何の話をするのかしら?)

 紬がそう思ったとたんに、雪之丞が穏やかに質問する。

「我らは席を外しましょうか?」

 これから重要な話をするのだろうか。雪之丞は、なんとなく状況を理解し
ているようだ。

「いや、いい。むしろ、雪之丞君が一番聞いていた方が良いかも」

 南里がまたへらりと笑う。

「南門の落書きは即効で消せ。東門の城壁は、脆くなっている箇所がある
から修復しろ。北と西は問題がないが、どこも番所が小さい。最低二十人
は常駐出来る様に改装しておけ。これらは全面的に都から金が出るから
資金面は気にするな。雪之丞君、現在の綵の衛官士の数は?」

「一八三人です」

「ん、まぁ今の所はそれでいいかも。後々増やすからそれだけは覚悟して
おいてね。で、ここからが本番だが……」

 南里は、意味深な視線を雪之丞に送る。

「独身者は出来る限り結婚して子どもを作っておけ。特に葵地みたいな名
家がお前の代で途絶えたら大変だ」

 急な話展開だが、雪之丞は驚きはせず、冷静な姿勢を崩さない。

「都に兄と弟がいます」
「言いたいことは分かるけど、都の意見としては、より優秀な血が残る方
が、後々国のためになるってことだ」

 室内には、なんとも言えない緊張感が漂っている。そんな中、紬はいま
いち状況を理解出来ていなかった。

(城壁の修理? 結婚? 何のこと? 後から雪之丞様に聞こうかしら?)

 質問も出来ないほどのシリアスな空気を壊したのは、作り上げた南里自
身だ。

「児玉ちゃん」

 紬に手招きをすると、隣に座らせる。

「そう言うわけで、児玉ちゃんも結婚しなさい。子ども作りなさい。ちなみに
俺なんてどう?」

 白く長い腕が馴れ馴れしく紬の肩に置かれて反射的に口が出る。

「触るな変態! あ、申し訳ありません。つい本当のことを……」

 かなり無礼かつひどいことを言ったのに、南里は気にしない。

「うんうん正直でよろしい。でも児玉ちゃんは知らないだろうから教えてあ
げるけど、男は皆変態なんだぜ」

 とか言いながら、唇を尖らし顔を近づけてくる。

(キモイ! こいつを殴る)

 怒りに任せて右手を握り締めたとたんに、制止する声があった。

「お止めください、ナンリ様!」

 顔を真っ赤にして立ち上がった貴彦は、すぐさま失言に気がつき「あ」と
小さく声を上げる。

「こらこら、貴彦。お前まで正直になってどうする」
「申し訳ありません!」

 小さな両手で袴をきゅっと握り、慌てて頭を下げる貴彦は、確かに南里
のことをナンリと呼んだ。

「ナンリ司監とご関係が?」

 雪之丞の質問に南里はあっさりと答える。

「もう隠しても仕方ないから言うけど、俺、あのおっさんの数多くいる息子
の一人だから。ややこしいから、俺のことは今まで通り南里って呼んでく
れ。階級はない。親の七光りを全身に浴びて好き勝手に生きているただ
の放蕩息子だ。ちなみに独身よろしくね」

 最後の言葉は、紬に向かって言われている。

(いちいちオヤジ臭い……)

 外見が洗練された二枚目で、中身が親父臭い人は、どのように表現し
たらいいのか。紬の頭の中には、残念の二文字が大きく浮かんでいる。

 ちなみに司監と呼ばれた南里の父親は、衛官士の中で上から二番目に
偉い人だ。紬にとっては雲の上のような存在で、一度もお目にかかったこ
とは無い。そんな人の息子となると、エリートの貴彦に偉そうな態度を取る
ことも分かる気がする。

 南里は、長い足を組みかえると、ソファの背もたれへと両腕を置く。

「と、に、か、く、貴彦は早急に城壁の強化と番所の拡大。雪之丞君は、
結婚ということで。オッケー?」
「はい」

 真剣な顔で答えた貴彦は、少しだけ大人びて見える。雪之丞は、珍しく
眉をしかめているが、「はい」と素直に返事をする。

「紬ちゃんはここに残って、俺と作る今後の薔薇色人生についてじっくりと
語り合おうか」
「同意しかねます」

 セクハラ発言を繰り返す南里に、心底冷たい視線を送ると、へらりと気
の抜けた笑顔が返ってくる。

「はい、じゃあ冗談はこれくらいにして解散!」

 パンパンと南里の手拍子で、この場は解散となった。



 三階の番所に戻るため、雪之丞と二人、薄紫色に染められた階段を登
る。部屋を出てから雪之丞は、一言も言葉を発していない。

「雪之丞様、先ほどのお話ですが……」

 詳細を聞こうと思い声をかけると、妙に真剣な表情で逆に聞き返されて
しまう。

「あれは何の話だったんだ? 上の方の話し方は、抽象的で良く分からな
い」
「分かってなかったんですか!?」

「とりあえず、結婚しろという命だけは分かった。後、小番所の拡大は有り
難い」

 それくらい紬にだって分かっている。あんなに分かっていそうな顔で話を
聞いていたのにこれだ。

(これだから見目麗しい人種は!)

 例えば、美女がにこにこ笑っているだけで大概のことは許されてしまっ
たりする。多少のことは雰囲気でなんとなく解決してしまうのだ。美男の雪
之丞は、真剣な表情ではいはいと言っているだけで、とても優秀な男に見
える。

「まぁそのようなことはどうでいい。頭を使うのは上と貴彦殿に任せておくと
しよう。私達は衛官士の仕事をする」

 その切り替えの良さはいっその事清々しい。

「紬、今から各小番所を視察だ。改装の際に、こちらの意見を取り入れて
使いやすいようにしてもらわなければ」

 その言葉に紬はハッとなる。例え全てのことを理解していなくても、雪之
丞はきちんと己の役目を把握している。そして、衛官士達をまとめる力も
ちゃんと備えているのだ。余計なことを考えないというのは、むしろ利点な
のかもしれない。

(やっぱりカッコいい)

 外見ではない。侍として、同じ衛官士として憧れずにはいられない。

「一時間の休憩。昼食をとった後、小番所巡りだ」
「はい!」

 元気良く返事をして、颯爽と歩く雪之丞の背中を追いかけるとふと疑問
が胸を過ぎる。

(雪之丞様って結婚する当てあるのかしら?)




つづく



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