赤や紫の柱が立ち並び、夜にもなればオレンジ色の提灯が揺らめく煌
びやかな町「綵(あやぎぬ)」。

 その街角でとあるアンケートが実施された。その名も「今一番旬な男は
誰?」アンケート。

「くっだらない……」

 時間潰しに何気なく眺めていた雑誌に、紬(つむぎ)は思わず愚痴をこぼ
した。アンケートなんて取らなくても、結果は分かりきっている。

「どうせまた雪之丞様でしょう? そうなんでしょう?」

 投げやりにページをめくると、予想通りの人物の似顔絵が載っている。
 落ち着いた灰色の髪は、まるでその人物の内面を現すかのようだ。ざっ
くりと斜めに分けられた長めの前髪の下では、うっすらと笑みを含んだ瞳
が温かさを放っている。

 街角の乙女曰く、"あの優しげな瞳がたまらな〜い"だそうだ。

(はいはい。誰か一人くらいけなしていないかしら)

 そんな淡い期待を込めつつ、ページをめくる。しかし、めくれどもめくれど
も飛び交うのは黄色い声援。
 それどころか、こんな台詞まで飛び出てくる。

"侍なのにダサくないってすごいよね"

「な!? どういう意味よ!」

 侍とは、自国を守る職務につく衛官士(えいかんし)の通称だ。それをひ
とくくりにしてダサいと言い切る女性達の暴言。

(確かに! 確かに格好を気にしない人の方が多いけど!)

 そういう紬自身も余り服装にこだわらない。どちらかというと、動きやすさ
重視な服装だ。ついつい雑誌のページをめくる指に力がこもる。

(皆、知らないだろうけど、衛官士は、戦闘時の鎧の着脱のしやすさで着
物を選ぶのよ。機能性重視なんだからね!)

 丈夫な着物で肌を守らないと、身体を守るためにつけている鎧で、自身
を傷つけかねない。

(雪之丞様だって……う)

 改めて雑誌の中の雪之丞を見ると、背中まである長い髪を侍らしく一つ
に束ね、服装も決して侍から逸脱していない。それなのに、若葉を連想さ
せる萌葱色の着物の上に、清涼感の漂う 青い袴姿は、涼やかに雪之丞
を彩っている。

(うん、まぁ似合ってはいるわよね。でもこれは着ている人の素材の問題
であって、決してダサいダサくないの問題じゃない!)

 雪之丞は、元から顔が良い上に、背も高くすらりと引き締まった身体を
しているのだ。何を着てもそこそこかっこ良く見えるだろう。

 鼻で笑い飛ばしながら雑誌を閉じようとしたが、その途中でふと紬の手
が止まる。

(……ん?)

 よく見ると、描かれている雪之丞の左手には籠手、右手には手の甲を
守るための防具であるゆがけが見える。足には黒い臑当(すねあて)を着
用し、右脇には大鎧の一部の脇だてがついている。

(これって、もしかして小武装?)

 小武装は戦の最中、武将が陣中でくつろぐ時の格好だ。それは見る人
が見ないと決して分からないことだが、同業者には一目瞭然。
 雑誌の中で優しく微笑む雪之丞は、常に戦闘態勢であることを表してい
る。

 当たり前だが、防具は重い。フル装備ともなると一人で着用することす
ら出来ない。例え小武装とはいえ、一流の侍でも、常日頃からここまでし
ている人は見たことがない。

 雑誌を閉じて歯がみをする。

「悔しいけど、かっこいい」

 そう、綵(あやぎぬ)を守る衛官司令、葵地雪之丞(あおいじゆきのじょ
う)は侍が憧れる侍。とにかくめちゃくちゃかっこいいのだ。

 ただし、"侍"としてのみ。

 ふと卓上の日時計を見ると、もうそろそろ文衛省に出仕しなければなら
ない時間だ。それなのに、待ち人は起きてくる気配すらない。

「もう! 毎日毎日」

 立ち上がると、水色の枠にはまった緑色の襖(ふすま)を開け放つ。こ
の屋敷は全体的に青や緑といった涼やかな色が使われているため、刺
激的な色に塗れている綵では、浮いた存在だ。

 クリーム色の廊下を早足で進み、目当ての部屋の前に辿り着く。目の前
には、二面の襖一杯に描かれた、流れるような模様。これを見るたび、紬
は爽やかな風を思い出す。

 その風を吸い込むようにお腹に力を入れる。

「おはようございます、紬です!」

 襖が僅かに振動するくらいの大声で呼びかけたのに、中からは何の反
応はない。

「入ってよろしいでしょうか?」

 やはり返事はない。

「入りますよ、勝手に入っちゃいますからね?」

 念を押しながら襖を横に引くと、部屋の中は真っ暗だ。

(寝ている。確実に寝ている)

 ため息をつきつつ、室内に一歩踏み入れると、いきなり何かに右足を取
られた。

「な!?」

 慌てて左足を出し体制を立て直す。

(こんな所にトラップ!?)

 瞬時に廊下に飛び下がると、足元を確認する。

「……ん?」

 侵入者を防ぐための罠かと思いきや、紬の足元には、黒い籠手の赤い
紐が絡み付いている。
 妙に見覚えのある籠手を手に取り、もう一度室内を見ると床に何かが
落ちている。その何かは、部屋の奥へと点々と続いている。

 薄暗い室内で確認すると、それは着物だった。おそらくこの部屋の住人
は、部屋に入ったとたんに、歩きながら服を脱ぎ捨てて行ったに違いな
い。着物の終着点の寝台の上では、一人の男が気持ち良さそうに寝てい
た。

(ものすごく嫌な予感がする)

 恐る恐る近づくと紬の予想通り、毛布から出ている腕や肩には何も身に
つけられていない。

(どうして私が起こしに来ると分かってて、半裸で寝るの?)

 無神経にも程がある。そうでなければ、露出癖のある変態だ。

「起きてください! 起きてください!」

 毛布の上から身体を揺すると、男はうっすらと目を開ける。

「良かった! 起きてくれましたか?」

 こくりと頷きそのまま閉じてゆく瞳。

「って寝るな!」

 勢い良く毛布を剥ぎ取ると、その下の光景に紬は悲鳴を上げる。

「どうして下まで脱いでいるんですか!?」

 思いっきり身体を背けて、両手で顔を覆う。その頬は熱い。
 毛布を奪われた寒さと紬の大声で、ようやく目が覚めたのか、男はむく
りと起き上がる。

「紬、今何時(なんどき)だ?」

 少し擦れた男の声は艶っぽく、紬の鼓動は不覚にも跳ね上がる。

「とりあえず下をはいてくださいよ!」
「御託はいい。答えろ」

 有無を言わせない口調。そのいつもの声音を聞いて、紬もようやく冷静
になる。深く呼吸をすると、頬の熱も次第に冷めていく。

「只今、八時四十五分です」

 ちなみに出仕時間まで後十五分しかない。この屋敷から文衛省まで歩
いて一〇分はかかる。
 男は寝台から降りると、無駄がない動きで、床に落ちている着物を順番
に拾っては着ていく。

「新しいの、出しましょうか?」

 呆れて声をかけると、「いい」と端的な言葉が返ってくる。全ての着物を
拾い、部屋の入り口に到着する頃には、男は見慣れた姿になっていた。

「あの、雪之丞様」

 灰色の髪をくしでとかしもせず束ねる雪之丞。その様子を見かねて紬は
声をかける。

「そろそろ身の回りの世話をしてくれる女性を雇いませんか?」

 女中さんとでも言うのだろうか。いいかげんな雪之丞には必要な存在だ
と前から思っていた。
 雪之丞は、うっすらと汚れた足袋に迷うことなく足を突っ込む。

「お前がそう言うから、何人か雇ったぞ」
「え? どこにいるんですか?」

 紬はこの屋敷に朝だけ出入りしているが、今まで出会わなかった。部屋
を見渡しても誰もいない。

 身支度を整えた雪之丞は、心底不思議そうな顔をこちらに向けた。そし
て、その次に見せた思案するような流し目に、不覚にも見入ってしまう。

「なぜか全員、その日の内に泣きながら辞めていったぞ?」

 寝起きにして凛々しい表情。この涼しげな瞳で見つめられて、ときめか
ない女性はいない。紬自身も未だに気を抜くと、ときめいてしまうことがあ
る。

(惑わされるな、かっこいいのは外見だけ!)

 心の中で平常心を取り戻す呪文を唱えながら、雪之丞から視線をそら
す。

「みんな……夢破れて山河に散ったのですね……」
「なんだ、それは?」
「いえ、こちらの話です」

 きっと、女性達は〈素敵な雪之丞様〉に憧れて来たに違いない。先ほど
の雑誌に書かれた通り、ちまたでの雪之丞の女性人気は非常に高い。遊
びでもいいから抱かれたい、などとまで言われているくらいだ。

(でも、その前に、部屋の掃除から始めないと、抱かれる場所もないよ?)

 そして、世の女性の憧れを一身に浴びている本人は、女性を前にして、
きっとこう言うだろう。

「面倒だな」

その言葉と共に雪之丞は、どうやら顔を洗うことをあきらめた様だ。

「顔くらい洗ってくださいよ……」
「どうせ、鍛錬をして汗だくになるのだ。気にするな」

 確かにその通りなのだが、この人は雪之丞なのだ。あの、葵地雪之丞
なのだ。

(もっともっと、かっこつけてて、きどってんじゃねーよ!?って、周りに言
われるくらいでも良くない?)

 そう思ってしまう。

「ほら、行くぞ。紬」

 そう声をかける人は、悔しいが見目麗しい。

(普段はこんっな駄目男なのに……)

 でも、その心根は誰よりも侍だ。

「紬!」

 再び呼ばれて、慌てて雪之丞の後に続いて部屋を出る。廊下を渡り、立
派な柱に支えられた玄関をくぐる。

 雪之丞の歩く速度は早い。紬が小走りに追いかけてようやく後ろに着け
る位の速度なのに、雪之丞は涼しい顔をしている。

 颯爽と町の大通りを歩く姿に、すれ違う女性達が色めきあう。心を奪わ
れたようなため息も聞こえてくる。そして、その後ろを歩く紬には、羨望と
嫉妬の嵐が吹き荒れる。

「あの子は?」
「ほら、雪之丞様の側小姓の……」
「ああ、あの児玉(こだま)家の?」

 そこには、馬鹿にしたような響きが含まれている。

(悪かったわねぇ、落ちぶれ武官の児玉家で!)

 児玉家が、雪之丞の葵地家と肩を並べていたのは、百年程昔の話だ。

「あ、そういえば雪之丞様。どうして裸で寝てたんですか?」

 いくら春めいてきたとはいえ、まだ肌寒いこの季節。酔っ払ってでもいた
のだろうか。お願いだから露出に目覚めたとは言って欲しくない。

「ああ、春だからな」

 穏やかな笑顔を向けられたが「そうですねぇ」と言えない。

「私は春になると裸で寝ることにしている」
「なるほど、春ですからね」

 温かくなってくると、頭の中も温かくなって、ちょっとアレな人とかが出て
きて世間を騒がしうっかり捕まってしまうのだ。

(まさか自分の上司がアレだったなんて)

 その口ぶりからは、昔からの習慣のようだ。

(まぁ、百歩譲って裸で寝ることはいいわ)

 世の中にはそういう習慣の人もいるだろう。しかし、問題なのは、紬が起
こすと分かっていて裸で寝ていることだ。無神経とか習慣がどうとか言う
以前の問題で、この人は変態なのではないだろうか。

「お願いですから、路上ではやらないでくださいよ」
「何の話だ?」
「いえ、まぁね」

 そんな感じで夢も希望もあったものではない会話をしているとは露知ら
ず、乙女達の囁きは続いている。

「でも、あの子いいわねぇ」
「雪之丞様とずっと一緒だなんてうらやましいわ」

 そんなひそひそ話が聞こえてくる。

(皆、何も知らないから!)

 変われるものなら今すぐに変わってあげたい。紬だって女の子だ。しか
も武官の家に生まれたこともあり、そこらへんの乙女より雪之丞に強い憧
れがあった。

 この国で若くして衛官司令にまで登りつめた雪之丞。刀を振るえば天下
無双、その独特の太刀筋は氷太刀(ひだち)と称され恐れられている。憧
れるなという方が無理なのだ。
 少しでも近づきたくて、立派な侍になりたくて努力し続けてきた。

(その結果がこれだよ)

「紬!」

 気がつけば雪之丞との間に少し距離が開いていた。慌てて駆け寄ると、
珍しく厳しい視線を向けられる。

「急げ。遅れるぞ」
(誰のせいよ、誰の!)

 そう思いながらも、小走りに雪之丞の後を追った。



つづく



次へ

「彩-sai-」のTOPへ