東の空が明るくなってきている。後、数分もすれば白い砂山の間から、黄色い太陽が昇る。
 商人達の朝は早い。いつもは、荷だしや市場の準備に追われている時間帯だが、今日は違
う。商人たちは、船員へと姿をかえる。静かに碇が巻き上げられ帆が広げる。

「準備が完了しました」

 船の先端に立っている船長に、船員が報告する。
 夜が明け、朝日に砂の世界が照らし出される。その光を気持ち良さそうに浴びながらギイン
は呟いた。

「絶好の船出日和だ」

 それは嵐の前の静けさ。




 一方その頃、国益所では瑞垣が激しく舌打ちをした。

「はぁ!? やつらがただのチンピラだぁ!?」

 報告した部下は、寝ていないのか、その顔にはやや疲労の色が見える。

「はい、やつら、本当に海洋商船団とは関係が無いようです」

 男が指差す部屋には、先日黒獣を襲った男たちが捕らえられている。

「じゃあ、何が目的でわざわざ黒獣を狙ったんだよ? 金目的じゃあ割があわねぇだろうが、割
が」

 この国では、黒獣に害をなすと、その場での処断が認められているのだ。チンピラが起こす
強盗にしては、リスクが高すぎる。

「それが、やつら、他国の出身らしく、黒獣のことを詳しく知らなかったようで。護衛付きの少女
を見て、良家のお嬢さんと思ったらしく、金を持っているだろうと踏んだそうです」

 瑞垣の金色の目が鋭く光る。

「すっきりしねぇな」

 胸騒ぎがするのだ。黒獣が現れ、それとほぼ同時に海洋商船団がこの国に来た。そして、黒
獣が暴漢に襲われそうになるこの状況。

「谷口と藤井は?」
「予定通り、朝一で王城へと向かいました」

 警備課の二人には、念のため咲の護衛に当たってもらっている。王城内には、王城の兵や
近衛兵がいるため、本当なら警備課の出る幕ではないが、念には念が必要だ。
 事実、前黒獣は、王城兵の監視をかいくぐり、ふらりといなくなってしまったのだから。

(黒獣はこの国に必要だ)

 黒獣という生き物は、この国の何か欠けている部分を補うために存在しているのではないか
と、瑞垣は感じている。

(少なくとも、今の王様には、咲みたいなやつが必要なんだろうな)

 身体の弱い前王に、優秀な前黒獣がいたように。今の王の足りない何かを、きっと今の黒獣
が補っている。

「ま、谷口と藤井がいたら、とりあえず何とかなるだろう。よし、そのチンピラどもはもういい、お
前は休め」

 部下に指示を出し、瑞垣は立ち上がる。

「部長はどうするんすか?」

 胸ポケットから黒縁眼鏡を取り出し装着すると、にぃと笑う。

「とりあえず海賊の監視だ」

 船と港さえ押さえていれば、黒獣がこの国から出て行くという最悪の事態は防げる。ここは砂
漠のど真ん中なのだ。
 国益所を一歩出ると、眩しい朝日に目を細める。睡眠の足りていない身体には、その強すぎ
る光は毒だ。こんな時は、黒縁眼鏡がサングラスだったらいいのにと、心から思う。

「あーちくしょう、今日もすこぶる良い天気だ」

 瑞垣がポケットに手を突っ込みながら、港に向かって歩き始めた。

 その頃、人気のない裏通りで谷口は抜刀していた。
 刃が朝日に照らされ、美しい弧を描くと、その場にドッと男が倒れる。どこも切っておらず、倒
れた男は峰打ちによる気絶だ。
 藤井が素早く男に近寄ると、その両手両足をロープで縛る。

「咲さんを狙ったやつと同じ連中でしょうか?」

 その咲本人がいないのに、攻撃をしかけてくるのは、どうもおかしい。狙われているのは、本
当に咲なのだろうか。

「……少し探るか」

 今、王城は厳戒態勢をとっているため、王や大臣、賢者と言った高位のものと、その者の許
可を得た人間しか、自由に出入り出来ないようになっている。
 咲が外に出なければ、ひとまずは安全と言えるだろう。どちらにしろ、捕らえた男をこのまま
ここに置いて行く訳にはいかない。何かがおころうとしてい
る。




 その日の朝は、王の感嘆の声から始まった。

「うわぁ」

 目をキラキラさせながら、咲を上から下まで眺めて、その周りをくるくる回る。

(恥ずかしいんですけど……)

 今、咲は昨日、王から貰った服を着ている。サイズを測られた記憶はないのに、服はしっくり
と身体になじむ。
 一見真っ白に見えるその服は、光の元で見ると、上着には、白地に一見分からないほどの
細かい刺繍が入っている。ズボンは、少し光沢のある白布で、とても肌ざわりがいい。
 王は当たり前のように着こなしているのに、全身鏡に映る自分の姿は、まるで学芸会の衣装
のようだ。
 それでも、王はとても喜んでいる。

「咲、これも」
「はい?」

 うきうきしながら、王は自身が、腰に巻いていたふわふわの布を頭にかけてくる。

「うわぁうわぁ」

 こちらを見て、目をキラキラさせながら、ジタバタする王。

「なぜだろう、私はとても嬉しいよ!」

 顔を赤くしながら興奮気味の王を、見ていられない。

「なぜでしょうね、私はとても恥ずかしいです……」

 とたんに曇る王の顔。

「え、咲はこの服、嫌なの!?」
「い、嫌じゃないです、嫌では」

 しかし、王が着ている服を見て、頭を抱えたくなってくる。
 王のような服を作ってもらうということは、それを着ると、二人とも同じような服装になるという
ことだ。

(人は、それをペアルックとか言うのではないでしょうか……)

 よりによって、今日は王も白い服を着ているのがさらに居たたまれないのだ。多少、計画的
犯行のにおいがする。

(これじゃあ、本当にペアルックだよ。もう今日は一日中、誰にも会わないで部屋にこもろう)

 そう決めた。それなのに、王は、腕を取るとぐいぐい引っ張ってくる。

「さぁ咲、賢者に見せに行くよ」
「ええ!?」

 こんな姿を見せたら、鼻で笑われるどころか、心底馬鹿にされそうだ。

「こんなくだらないことで行ったら、怒られますよー」
「いいよ、私が見せたいだけだから」
「何ですかそれ! い、いやー」

 強引に扉の前まで引きずられたが、咲が叫ぶと王はパッと手を離す。急に離された勢いで、
前に倒れそうになった咲を王がそっと支えてくれる。

「賢者に怒られてもかまわないけど、咲が嫌ならやめておくね」

 少しだけ残念そうな顔がずるい。

(でも、負けない!)

 「ありがとうございます」とお礼を言うと、「うん」ととたんに笑顔になる王。気をそらしたのをい
いことに、そのまま話題を変えてしまう。

「王様、昨日まで来ていたこの服を洗いたいんですけど、どうすればいいですか?」
「ああ、どうしたらいいのだろうね」

 咲が服を見せると、王は本当に不思議そうに首をかしげている。

「えっと、洗濯してくれる人がいるとか?」
「そうだね、いないと組織が成り立たないね」

 なんとなくジッと見つめ合ってしまう。

「いつもどうしているのですか?」
「そういえば、気にしたことがなかったよ。たぶん、誰かがしてくれているのだろうね。ああ、そう
だ」

 ポンと手を叩く王。

「賢者に聞きに行こう」
「やっぱりそうなるの!?」

 内心、「負けたー!?」と感じながら、賢者の部屋まで強引に引きずられていく。
 たどり着いた賢者の部屋に、王が何の躊躇いもなく、突入すると、賢者は予想を遥かに超え
た不機嫌な様子を見せた。

「……何なんだ、お前らは?」

 深く長すぎるため息。しかし、王はそんなことは全く気にしない。

「咲を見て、賢者! とても可愛いでしょう?」

 こちらに向けられた賢者の冷めた視線に、咲は胃が痛くなる。早々に用事を終わらせて、さ
っさと帰ってしまおうと心に決める。

「あの、賢者さん、この服を洗いたいんですけど、どうすればいいですか?」
「ねぇ賢者、良く見てよ、感想を言ってよ」

 賢者は、咲の方に顔を向ける。

「ああ、服か。私に渡せばいい」
「すっごく似合うと思わない? 可愛いよね、可愛いよね」
「え? いえ、賢者さん、洗う場所を教えてください、自分で洗いますから」
「……咲、賢者が無視する」

「一応駄目だと言っておこうか。どうしても洗いたいというなら話は別だが、王城には、洗濯を職
務としている者たちがいる。その仕事を奪う必要はないし、何より黒獣が洗濯など、さすがに世
間体が悪いぞ」
「ど、どうしよう賢者! 咲に無視された!?」

 今までさんざん王を無視していたのに、ここぞとばかりに賢者は返事をする。

「嫌われているんじゃないのか?」
「どうしよう、どうしたらいいの?」

 王は必死に賢者に助言を求めている。

「まぁ、その頭の腐った感じがにじみ出ている、おそろいの服をやめるが良い」
「ええ!?」

 ガーンという効果音が聞こえていそうだ。

「王様、大丈夫です。嫌っていませんし、この服も気に入っていますから……」
「そ、そう?」

 ほっと安心する王の背後で、賢者がちぃと舌打ちをしている。

「ええい、王はさっさと職務につけ! 予算会議が揉めているのだろう? 朝から大臣達がが
ん首そろえて王城に詰めかけているぞ」
「ああ、そうだね。そうだった」

 王はにこりと微笑むと、咲の上から下まで観察した後にもう一度にこりと笑う。

「今日はカナと会うんだよね?」
「はい」

 昨日、整理整頓した服で、いらないものを、商船団に買い取ってもらうことになっている。
 賢者はまた深いため息が聞こえてくる。見ると、顔をしかめながら頭を抱えている。

「お前らの、そのペアルックを商船団のやつらにも見せ付ける気か? 現状に腹が立ってくる
のは俺だけか?」

「ああ!?」

 さすがにそれは恥ずかしすぎる。

「着替え……」

 着替えてきます、そう言いきる前に、王ががくんと首をうなだれる。

「……ません」

 よく考えたら、他に着る服もないし、せっかく作ってもらったのだ。恥ずかしいなんて言ってい
たら、バチが当たってしまう。
 ぱぁと顔を上げた王は、にこにこ顔になり公務へと向かう。その背中を見送った後、賢者はも
う一度ため息をついた。

「で? 洗うものは?」
「えっと、これです」

 長く着ていた服を、人前に出すのは少し躊躇われたが、賢者はまったく気にした様子を見せ
ない。しかし、受け取った後に、かすかに動きが止まる。そして、おもむろに服のポケットに手
を突っ込む。

(ポケットに何か入れていたっけ?)

 何かを入れていた記憶はない。しかし、賢者は、ため息と共に何かを取り出した。

「これはなんだ?」
「あれ?」

 賢者の指には、紙が挟まっている。わずかに指をずらして、中を確認する。

「王の字だ」

 紙を渡され、中を確認して、咲はようやく思い出した。

「あれ? これって、王様が私にくれた手紙?」

 この世界に始めてきたとき、王がくれた手紙。そこには、愛の言葉がつらつらと書き連ねてあ
り、あの時は心の底から怖いと思ったものだ。

「そういえば、服のポケットに入れっぱなしに……?」
「お前……存在すら忘れていたのか? さすがに王が哀れになってきた」

 賢者はため息をつきながら、頭をかかえてしまう。

「咲、王はお前の前ではあんなだが、他では完璧な王なのだ。このようなものを他に知られな
いほうがいい。きちんと管理しておけ、いいな?」
「はい、これからは気をつけます」

 この手紙をもらった日のことが、少し遠く感じてしまう。王の奇行が怖くて仕方がなかった頃を
思い出して、口元が緩む。

「お前は今、俺に怒られているのだぞ?」
「すみません」

 それでもにこにこは止められない。

「……お前のその能天気さ、少し飼い主に似てきていないか?」

 深いため息をつく賢者は、急に懐から携帯電話を取り出した。

「そうか、分かった」

 端的な返事を返し、短い通話は終わる。

「咲に客が来ているそうだ」

 この世界で咲を訪ねてきてくれる人なんて、カナしかいない。カナはこの世界の大切な友達
だ。

「行ってやれ」
「はい!」

 王に引きずられて来たときとは違い、気持ちも足取りも軽い。わくわくとした嬉しい気持ちで、
賢者の部屋を後にする。
 廊下を急ぐと、もうすでにカナは咲の部屋の前で待っていた。
「カナちゃん!」

 声をかけると、カナはにこっと笑う。

「あ、咲ちゃん、会えて良かった! おらんかったからどうしようかと思っててん。朝早くからごめ
んなぁ」

 今日のカナのイメージカラーは黒だ。リボンやレース、フリル部分には、アクセントに赤色が
入っている。

「カナちゃん一人で来たの? どうやって服を運ぶの? たくさんあるよ?」
「商船団の仲間が、今、台車持ってこっちに来ているから大丈夫!」

 なんとなくギインのことが頭に浮かんだが、台車を引いている姿は想像できない。商人なの
に、それくらいギインは浮世離れした空気を持っている。
 顔から肩にかけて、まるで舞い散る花びらのような刺青があるせいかもしれない。

「あ、来た来た!」

 二人の男が、大きな箱を積んだ台車を引いてきた。箱の中には、これまた大きな袋が入って
いる。男たちは、一様に帽子を深くかぶっていて顔が良く見えない。

「じゃあ、咲ちゃんお邪魔するで」
「うん、どうぞ」

 咲に続きカナが入ると、二人の男たちも台車を押して入ってくる。

「こっから、ここの服を運んでー」

 一人の男が、指を何度もこすりあわせている。かすかに漂うお香のような匂い。カナの指示
を聞きながら、服を運ぼうとしない男達。

「ねぇ、カナちゃん……?」

 声をかけるとカナはにっこりと笑う。

「大丈夫やで、咲ちゃん!」

 後ろから、羽交い絞めにされ、口を塞がれる。きついお香の匂いがしたかと思うと、急に意識
が朦朧となる。

「カナ……ちゃん……?」
「大丈夫、カナが助けてあげるから!」

 嬉しそうに微笑むカナ。それきり咲の意識は途絶えた。眠り薬で気を失った咲を、男たちが
抱きかあけ、台車に積まれた箱の底に横たわらせる。

「大事に扱ってや」
「はいはい」
「つか、いいのか、カナ? 友達なんだろう?」

 男たちは、箱の中に、どんどん衣類を詰め込んでいく。

「友達やからや! この国は最低や! 咲ちゃんを泣かせてばっかりや」
「そういうもんかねぇ、まぁ仕事だから、どっちにしろやるけどな」

 無駄口を叩きながらも、男たちは手を止めない。

「時間はあんまりないで!」

 今ごろ、商船団と係わり合いのある人物が雇ったごろつきが、政総部をかく乱して、こちらか
ら目を逸らしてくれているはずだ。

「捕まったら死罪なのに、よくやるぜ」

 男の言うとおり、この世の中は、金さえ積めばなんとかなってしまうことが多い。箱を閉め台
車を引き始めた男が笑う。

「馬鹿、捕まったら死罪なのは、俺達も同じだろう」
「ようは、捕まらなければいい、ってか?」

 ギインの言葉を口にして、男たちは笑う。

「まったくだ。さぁ、逃げるぞ。カナ」

 咲の部屋には、何の異変も起こっていない。ただ、クローセットの中の服が減り、この部屋の
主がいなくなっただけの状態。
 そっと部屋の扉を閉める。
 急ぎもせず、慌てもせず、来たときと同じように、カナは振る舞い、その後ろで男たちが台車
を引いていく。
 城門の兵士とはすでに顔見知りだったが、来たときと同様、賢者に発行してもらった許可証
を提示する。

「一応、箱の中も見せてもらいます」

 箱の中には咲の服が入っている。いくら探そうが、それ以外何も出てこない。兵士は初めか
ら疑っていなかったのか、事務的に中を確認すると、あっさり通してくれる。

「どうぞ」
「うん、ありがとー」

 カナは、心の底からお礼を言う。見逃してくれてありがとう。
 遠のく城を振り返り、カナはようやく息を吐いた。かすかに腕が震えている。その様子をみ
て、男たちが笑う。

「大丈夫かぁ?」
「大丈夫や!」

 商人は、いつでも冷静でなければならない。微笑を絶やさず、顧客の信頼第一だ。目的のた
めになら、平気で嘘をつくことも厭わない。

(これでいいやんな?)

 これでいいはずなのだ。咲を助けることが出来るし、依頼もちゃんと達成できた。

「ほらカナ、さっさと船に戻るぞ」
「……うん」

 これでいいはずなのに、なぜか不安で胸がいっぱいになる。早く船に帰りたい。早くギインに
会いたい。早く咲の笑顔をみたい。カナはそう思った。







つづく



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