咲が戻ったその日から王城は厳戒態勢になった。
 政総部から報告を受けていたらしい王は、咲の前でポロポロと泣き出した。とても美しい外見
の人が、子どものように泣きじゃくる非常な光景に、当初のころのような驚きはない。

「あの、大丈夫でしたから。ちゃんと警備課の人たちに守ってもらいましたから」
「うん、うん、咲が無事で良かった」

 ずびーと鼻をすする音がする。王は、手の甲でゴシゴシと涙を拭う。

「犯人が全て捕まるまでは、外には出ないほうがいいよ」

 とても怖い思いをしたので、王に言われなくても、しばらく外に出る気にはなれない。

「でも、ずっと部屋にいるのはつまらないよね?」
「そうですね」

 この無駄に広い部屋に、昼間の間ずっと一人でいるのは寂しいかもしれない。

「何か、買う?」
「え?」

 王は、期待に満ちた瞳をこちらに向けている。

「咲は、何も欲しがらないから、何をあげたら喜んでくれるのか分からないよ」
「別に何もいらないんですけど……」

 王は目に見えてしょんぼりする。

「用意した服も着てくれないし」

 王の言うとおり、この世界に迷い込んでから、咲はずっと同じ服を着ている。この国は、砂漠
の中にあるのにとても過ごしやすく、空調管理が徹底されているのか、普通に生活している分
には汗一つかかない。
 そのため、毎日同じ服を着ても問題ないのだが、さすがにそろそろ洗濯したほうがいいかな
とは思う。

(でも、ここにある着替えはちょっと……)

 改めてクローゼットの中にある服を適当に取り出すと、布が無駄に輝いている。

「う」

 見なかったことにして、別の服を取り出すと、今度はやけにヒラヒラだ。

(こういうのはカナちゃんに似合いそう)

 それも戻し、ガサガサと服を見ていくが、ひどいものになったら、布が極端に少なかったり、
透けていたりして、どれもこれも着たいとは思わない。

「ここにある服はちょっと着られないかも……」

 王を見ると、哀愁を漂わせながらテーブルに突っ伏している。

(王様の服は普通なのに)

 毎回、生地や色は違うものの、だいたいの作りは決まっている。
 首まである詰襟の上着に、ゆったりとしたズボン。腰や足首には豪華な装飾品が巻かれ、美
しい王を艶やかに彩る。そして、肩や腰に柔らかく透ける布を一枚かけていることが多い。王
が歩くたびに、その布がふわふわと優雅に揺れるのだ。

「王様」
「なに?」

 悲しそうな顔に無理に笑顔を浮かべている。

「私、王様みたいな服がいいです」

 そういったとたんに、ガバッと勢い良く起き上がる。

「私みたいな服?」
「はい、王様が着ているような服がいいな……」
「それって、欲しいってこと?」

 驚いて尋ねられ、こちらの方が驚いてしまう。

(ダメだったのかな? もしかして、高貴な人しか着られない服とか?)

「欲しいってことだよね?」
「いや、あのその……」

 しどろもどろになっていると、王の顔もだんだんと不安げになってくる。

「欲しくないの?」
「無理にとは言わないんですけど、あえていうなら、その……欲しいです」

 ぱぁと王の顔が輝く。

「分かった、すぐに同じものを用意させる」

 張り切って立ち上がる王に、咲は思わずすがり付いてしまう。

「無理ならいいんです、無理なら!」
「無理じゃないよ、大丈夫。黒獣の衣食住は法によって守られているから」

「いや、そんな大層な話じゃなくて、安い服でいいんです。ただ、形が王様みたいなのだったら
嬉しいなってだけで」
「うん、分かった、大丈夫」

 王の顔がぽわぁと赤くなっていく。胸に手を当て、感慨深そうな様子の王。

「咲が、初めて私にお願いしてくれた」
「え?」

 言われてみて気がついたが、この世界でしたいこともなければ、何かを欲しいと思ったことも
なかった。
 ただ、言われるままに生活し、嫌なものは、嫌だなと思いつつ放置する。

(そっか、嫌なことは嫌じゃないように変えていけばいいんだ)

 今まで、とてもいいかげんに生きてきたのかもしれない。

「嬉しいよ」

 本当に嬉しそうに微笑む王を見て、もう少し真面目に物事を考えようと反省してしまう。

「服はこれ以上、もう増やさないでくださいね?」
「うん」

 ガックリとうな垂れる王様。

「えっと、欲しくなったらまた王様にお願いしますから」

 そう伝えると、顔を上げ嬉しそうにコクコクと頷く。

「この着ない服、どうしたらいいですか?」

 どれもこれも高そうなので、もったいなくて仕方ない。

「それは、黒獣に割り当てられた経費で購入されたものだから、咲の好きにしていいよ」
「割り当てられた経費……購入?」

 なんとなく嫌な予感がする。普通に考えれば、その費用は国民から徴収した税金で賄われて
いるのだろう。その税金で、着もしない服が揃えられている。

「も、もったいなーい!?」

 そう思ってしまう咲はどこまでも善良な小市民だった。




 次の日の朝。
 賢者の部屋を訪れると、王と同様、しばらく王城の外に出るなと命令されてしまう。

「その代わりといっては何だが、カナ……だったか? いつか手紙をくれたお前の友人を呼ん
でおいた」

 程なくして、咲の部屋の扉をノックする音がする。

「咲ちゃーん、あーそーぼー」

 独特の発音に、可愛らしい声。
 扉を開けると、上から下まで淡い水色で揃えたカナがこちらを少し見上げている。

「いらっしゃい、カナちゃん!」

 カナは相変わらずフリルがたくさんついた可愛らしい服を着ている。

「カナちゃん、今日も可愛いね」
「ありがとう! 咲ちゃん、なんやお城から出たらあかんねんて?」
「うん……」

 昨日、暴漢に襲われそうになったのだ。賢者に言われなくても、外に出る気には当分なれそ
うにない。部屋に入るように勧めると、カナは少しだけためらう。

「なんか、またおっちゃん達おるねんけど、おっちゃん達は外でええの?」

 カナの視線を追って初めて、廊下の奥に谷口と藤井がいることに気がつく。

(あれ? しばらく外出しないのに?)

 目が会うと、谷口が少し頭を下げたが、それ以上近寄ってこようとはしない。用事があった
ら、きっと向こうから声をかけてくれるだろう。

「うん、たぶん大丈夫」
「ふーん、じゃあお邪魔します!」

 ペコリと頭を下げた後、カナは嬉しそうに部屋に入ってくる。

「相変わらず、咲ちゃんの部屋すごいなぁ! お姫様が住んでいるとこみたい!」

 カナはきょろきょろした後、壁一面を覆いつくすクローゼットを指差す。

「なぁ、こん中見ていい?」
「うん、いいよ」

 カナは、服にこだわりがあるから、きっとこの国の服が気になるのだろう。咲が、ガラガラと大
きなクローゼットの扉を開くと、カナがあんぐりと口を開く。

「これ、全部服?」
「うん、でもぜんぜん着てなくて……」
「咲ちゃん、いっつも同じ服やもんな」

 痛いところをつかれて、少し恥ずかしくなる。

「う、うん、もったいないとは思うんだけど」

 ふと、商人のカナならこの大量にある着ない服をどうすればいいのか教えてくれるかもしれな
い。

「ねぇ、カナちゃん、相談があるんだけど」
「カナに相談!? 頑張る、何でも言って!」

 張り切るカナに、こんなくだらない事を相談するのは気が引けるが、カナ以外に相談できそう
な人はいない。

「この大量にある着ない服、どうしたらいいと思う?」

 そう言った後に、自慢に思われないかと心配になったが、カナは「よっし!」と立ち上がると、
クローゼットの中の品定めを始める。

「うん、やっぱりすごく質が良いわ。でも、咲ちゃんには似合わへん服ばっかりや」
「そうだよね、私も着たいとは思わなくて」

 ピランと服を広げながら、カナは難しい顔をする。

「商船団で買い取るのは簡単やけど、原価割れするから、あんまり咲ちゃんの得にならんしな
……」
「そもそも、こういうことにお金を使うのがもったいないよね」

 庶民の感覚ではついていけない。カナも賛同してくれると思いきや、首を横に振る。

「ううん、咲ちゃん必ずしもそうじゃないで。上の人がお金を使うことは、ある一定の義務でもあ
るとカナは思うよ。もし、咲ちゃんが、もう一切服をいらんって言ったら、たぶん、この国のどこ
かの服屋が潰れるのとちゃうかな? それか、何人かの服飾士が職を失うで」

 予想もしなかった回答。

「それに高貴な人が外見を飾るのもある意味義務や。商人でも、みんな良いものを着るし、で
きるかぎり装飾にも身なりにもこだわるよ。ボロボロの服着た、汚いおっさんから、何かもの買
いたいって思わへんやろ? それは、商売をするに当たって、必要なことやもん。それと同じ
で、汚い格好した人に、仕えたいって思わへんもん」

 呆然としていると、カナは何か誤解したのか慌てて首を振る。

「違うねん! 咲ちゃんを責めているわけじゃないねん、ギインから聞いたよ、黒獣は自由であ
ることが義務やって! 偉そうなことを言ってごめん。怒らんといて……」
「ううん、違うの、カナちゃんってすごいなって思って」

 カナに言われるまで、いらないものがたくさんあるからもったいないとただ単純に考えてい
た。

(そういうことじゃないんだ。私が安易にとる行動によって、他の人の迷惑になるってこういうこ
となんだ)

 黒獣の自由が、本当の自由ではないという意味が、今はっきりと理解できた気がする。
 誰にも迷惑をかけたくないのなら、もっと国単位でものを考えて行動しなければなければなら
ないのかもしれない。

(そ、そんなことできないよ……)

 「本当に怒ってない?」と心配そうな顔をするカナに、「もちろん!」と笑顔を返す。

「えーと、じゃあ私は、どうしたらいいんだろう?」

 カナは、再び服を広げ始める。

「少し手を加えたら、どうにかなりそうな感じがあるから、何着かは希望を言って作り直してもら
ったらええわ。そんで、どうにもならないやつだけ、商船団で買い取るな。これを全部処分して
しまったら、咲ちゃん着る服ないやろ? 新しく作ったら、めっちゃお金かかるで。たぶん、この
方法が一番、無駄な費用がかからへんと思うねん」

 思いもつかなかった方法だが、言われてみると、それが最善策だとしか思えない。

「カナちゃんありがとう! あ、そうだ、その服を買い取ってもらったお金でお礼をするね」

 カナは赤い顔のまま、一生懸命首を振る。

「いいねん、いらんねん」
「え、でも」
「だって、友達やもん」

 恥ずかしそうに下を向きながらポツリと呟く。その言葉で、咲の体の芯がカッと熱くなる。勢い
良く立ち上がると、クローゼットの中から、カナに似合いそうだと思った服を取り出す。

「私は、この服、カナちゃんに似合うと思うの! だから、これはカナちゃんのサイズに直しても
らおうよ」
「え? そんなん、いいって」
「良くない! これは、私がカナちゃんに着て欲しいの。相談に乗ってもらって、助けてくれたお
礼をしたいの。だって、友達だもん!」

 カナの赤い顔につられて、こちらまで赤くなってしまう。嬉しくてどこか気恥ずかしい気分。

「うん、じゃあそうする、ありがとうな」

 にこっと笑ったカナを見て、とても幸せな気分になる。
 それからは、二人で相談しながら、手直し方法を考えたり、いらない服を決めたりして、あっと
いう間に時間が過ぎていく。
 窓の外が赤く染まるころ、カナは立ち上がった。

「ギインが待っているから、帰るわ」
「うん、カナちゃんありがとう」

 にこりと微笑みかけられて、カナの心はほんわかと暖かくなる。

(やっぱり、咲ちゃんは笑ってなあかん!)

 心優しい咲を悲しませたり、泣かせたりするこの国のことを、カナはどうしても好きになれな
い。

「明日、いらない服を商船団の仲間と一緒に取りに来るわ」

 そう、明日になればこのおかしな国から、咲を助けることが出来る。

(待っててな、咲ちゃん! 絶対助けてあげるから)

 笑顔で手を振る咲に、力いっぱい手を振り返す。それは誘拐という行為ではない。
 魔王城から、お姫様を救い出す。
ただそれだけ。




 公務を終えて戻ってきた王に、着ない服を商船団に引き取ってもらうことになったことを伝え
る。

「うん、分かった。それでね」

 王は手に持っていた布をピランと広げる。

「これは、咲が欲しいもの?」

 そこには、王が着ている服と同じデザインのものがあった。
 ただ、首元まである襟口は、広くなっていて、長袖は半そで仕様になっている。

「私のものと少し形が違うのだけれど、咲が着るならこれのほうが良いって服飾士が言ってい
た。どう、嫌? 嫌なら変えてもらってくる」

 王の顔は緊張で強張っている。今まで生きてきて、親しい人に物を送ったことがないのかもし
れない。
 差し出された服をそっと受け取る。嬉しくて自然と頬が緩んでしまう。

「ありがとうございます、王様」
「嬉しい?」
「はい!」
「そう、なら良かった」

 ほにゃと微笑む王。

(こんな風に少しずつ、少しずつ王様と話し合って、分かり合っていけたらいいな)

 そうすれば、この世界にいることが、つらくなくなるかもしれない。そして、いつかこの世界でし
たいことが見つかるかもしれない。










つづく



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