次の日の朝。めずらしく咲の部屋に賢者が来た。

「昨晩、王が廊下で寝ようとしていたのだが?」
「……知りません!」

 賢者はやれやれとため息をつきながら、ソファに座る。

「王に何かされたか?」
「さ、されてませんけど……」

 されそうだったので、もう一緒に寝ることはできない。

「あの、その、王様と黒獣は、そういう関係なのですか?」
「どういう関係だ? と言いたい所だが、セクハラになりそうなのでやめておこう。結論から言う
と、ほぼ一〇〇%そうなるな。黒獣にその気はなくとも、王がああなのだ。愛おしくて仕方がな
いといったところか」
「そんな……」

 顔が赤くなってしまう。それでは、友人というより愛人ではないか。

「完全なる王は、易々と他人に心を許してはならない。正妻や妾を持つと問題が生じやすい。
それを回避するための黒獣でもある」

 そんなことを言われると、変態な王でも嫌いにはなれない。

「ずるいです」
「ああ、やつらはずるい」

「でも、賢者さんもずるいです」
「俺が?」
「賢者さんが変な言い方をするから、王様に日浦さんが殺されるんじゃないかって、勘違いした
じゃないですか!」

 それを教えてもらうために、恥ずかしいことまでしてしまった。しかし、賢者は少しも悪びれな
い。

「俺は嘘などついていない」
「でも、王様は、人を勝手にクビには出来ないって」

「ああ、出来ない」
「だったら!」

「だが、過去に、獣と通じた男の首をはねた王がいる」

 ドクンと心臓が跳ね上がる。

「権限はなくとも、やってしまったら仕方あるまい? もちろん法律違反だ。しかし、王のいない
この国は、小動物のように無力だからな。王をすぐさま罰することなど出来はしない。王は、そ
ういうことをやろうと思えば、出来るのだ」
「じゃあ、どうして……」

 王はどうして本当のことを教えてくれなかったのだろうか。

「単純なことだ、お前に嫌われたくなかったのだろう。最近、あいつは、お前に好かれるためだ
けに生きている節があるからな」

 その言葉に、また顔が赤くなる。しかし、胸に湧き上がる感情は、ときめきと言うには重すぎ
る。

「賢者様、胸が苦しいです」

 締め付けられるような、泣きたくなるような感覚。いったいどうすればいいのか分からない。賢
者はよしよしと頭をなでてくれる。

「それが恋であればいいのだがな」

 深いため息は、それは恋ではないと断言しているようだ。

「すぐに全てを受け入れろとは言わない。お前が苦しい立場なのも分かる。だが、この国の住
人として、できるかぎり王のそばにいてやって欲しいと望んでしまうのもまた事実」
「賢者さん、私、おかしいんです。まだ、夢の中にいるような気がするんです」

 この世界が夢ではないと理解しているはずなのに、どうしても現実とは思えない。もしかする
と、いつでも帰れるということが、心の余裕に繋がっているのかもしれない。

「まぁ、それは良いことだ。あまり深く考えるな。考えても仕方がない」

 確かに、賢者の言うとおり、考えても何も答えは出てこない。
 賢者は、懐から一通の封筒を出す。そこには、可愛らしい丸文字で、『さきちゃんへ』と書か
れている。裏返すと、『かなより』と。

「部屋にこもるな、気が滅入るぞ」

(開いてる……)

 封筒はすでに開いていて、中を見ると、『船に遊びにきて!』と書いてある。

「外に出て気分転換でもしてこい」
「はい。あ、でも私、昨日王様に、もうどこにも行きませんって言ってしまいました」

「気にするな、外出時は、警備課をつける。それに……」

 賢者は、フードの下から見える口端をニヤリと上げる。

「愛玩動物は、多少わがままな方が可愛いからな」

 そう言うわけで、船に遊びに行くことになった。




 咲が部屋で待っていると、しばらくして二人の男が現れた。

「護衛に参りました」
「はい、よろしくお願いします。谷口さんと……?」

 谷口は今日も黒いスーツに黒縁眼鏡を着用しているが、その隣の男は黒縁眼鏡を着用して
いない。そして、目を引く真っ赤な髪。

「あれ? 藤井さん?」

 藤井は人の良さそうな笑顔を浮かべて、勢い良く頭を下げる。

「こんにちは! 今日から自分も咲さんの護衛ですよ」

 急に護衛が増えたのは、咲が商船団に遊びに行くことと、瑞垣とギインの仲が悪いことが、
関係しているのかもしれない。

「咲様、<港の商船まで外出>で相異ございませんか?」

 谷口の問いに頷くと、藤井がすっと扉を開ける。その腰には、谷口同様刀がさげられている。

「あの、藤井さんも刀を使うんですか?」
「はい! 谷口課長ほど強くはないんですけどね。それはそうと、咲さん。ここの生活には慣れ
ましたか? あ、もし瑞垣部長がサボりに来たら、追い返してくださいね」

 静かな谷口とは違い、藤井は饒舌だ。その様子に谷口は眉をひそめる。

「藤井、お前はしゃべりすぎだ。咲様が望むこと以外は話すな」
「あ、はい! 咲さん、すみません」
「いえ、お話してくれると嬉しいです」

 昨日はいろんなことがあったのだ。静かになると、またいろいろと悩みこんでしまいそうにな
る。
 藤井は、両手を自分の胸に当ててうんうんと頷いている。

「本当に咲さんは優しい方ですねー。谷口課長は、酷いときには、三言しか話しませんからね」
「さんげん?」

「三つの言葉です! ちなみに、うるさい、黙れ、斬る、です」
「藤井、うるさいぞ」

 谷口が渋い表情で注意する。

「はい! ……ほらね?」
「黙れ」
「ほらぁ! 次は斬るっていうんでしょう!?」

 谷口は、静かに腰の刀に手を当てる。

「ぎゃあすみません! 咲様、お助けを!」

 わざとらしく藤井が、咲の背後に回る。その様子がおかしくて仕方ない。

「藤井」
「はっ! 警護に専念します」

 さすがにふざけすぎたと思ったのか、藤井は敬礼すると、咲の前を歩き始める。谷口は、軽く
会釈をすると、咲の後ろに回る。

 大通りをまっすぐ進み、大きな船が見えてくると、段々と人通りが多くなってくる。それを不思
議そうにしていると、それまで黙っていた藤井は、待ってましたと言わんばかりに嬉しそうに口
を開く。

「咲さん、商船が着くと、港では市が開かれるんですよ! 前は船が着いたばかりでしたけど、
今はもうやっているはずです。ほら、見えてきましたよ」

 藤井の指差す方向には、たくさんのテントが張られている。

「わぁ……」

 そこに見えるのは、鮮やかな色、色、色。

「ここら一体の店は、織物ですね」

 店先には、凝った刺繍や多彩な布が、まるでカーテンのように数多く下げられている。その市
の入口付近を行ったり来たりしている、お人形のような少女がいた。
 少女が動くたびに、ふわふわした布を目いっぱい使ったピンクのスカートが揺れている。
 こちらに気がつくと、ぴょこぴょこ跳ねて、大きく手をふるとブラウスの袖のフリルが見えた。

「咲ちゃん!」
「カナちゃん」

 カナが小走りで駆け寄ってくる。頭の上にある大きなリボンが可愛らしい。

「咲ちゃん、待ってたで!」
「お手紙ありがとう。遊びに来たよ! ずっとここで待ってたの? 来るの遅かった?」

 ううんとカナは首を振る。

「なんやよう分からんけど、さっき黒いスーツのおっちゃんが来てな。もうすぐ咲ちゃんが来るっ
て教えてくれてん!」

 谷口を見ると、「警備課の者を先行させておきました」と教えてくれる。

「ありがとうございます」
「いえ」

 それ以降、谷口はもちろん、あの藤井でさえ直立したままで、ひと言も話そうとしない。そうい
えば、この二人は仕事中なのだと改めて理解する。
 カナは、一瞬ためらったものの、えいやっと手を繋いでくる。

「咲ちゃん、カナと手を繋ぐの嫌じゃない?」
「うん!」

 にこりと笑い、カナの手を握り返すと、嬉しそうな笑顔が返ってくる。

「咲ちゃん、こっちこっち! 船の中、見たって! めっちゃおもろいねん!」

 カナは人通りが多い市から外れ、裏道を通り、船まで案内してくれる。遠くからでも大きい船
は、近づくと更に大きく、見上げていると首の後ろが痛くなってくる。

「入っていいの?」
「うん、みんな商い中でおらんし、ちゃんと船長の許可取っておいたから」

 カナに案内されて、大きな船のはしごを登る。

「咲ちゃん、足元、気ぃつけてな! おっちゃんたちも、落ちたらあかんで」

 咲の後ろからは、谷口や藤井が無言でついてきている。甲板に降り立つと、飛び込んできた
幻想的な景色に目を奪われる。
 船の向こう側にはそれこそ異世界が広がっている。見えるのは、青い空に、赤い太陽に、白
い砂。どこまでも続くその景色には終わりがない。

「ええやろ? カナ達が航海する砂の世界。夜はまた全然違うねんで」
「海みたい?」

 確か賢者がそう言っていた。カナは目をキラキラさせながら首を振る。

「ううん、時が止まっているみたいやねん。昼間と違って、静かで冷たくて、まるで氷の世界や
で。咲ちゃん、こっちに来て!」

 カナは船内へと案内してくれる。

「この船の中で一番おもろいところは、船長の部屋やねん」

 船内は、狭く感じない作りになっていて、通路も、避けなくても人がすれ違える広さはある。通
路の両側には、交互に木製の扉があり、扉にはそれぞれプレートがかかっている。

「ここがカナの部屋」

 そこには、可愛らしい花の飾りがついた「KANA」のプレート。

「そんで、隣が船長の部屋」

 船長室といっても他の部屋の扉と、まったく変わらない。ただ、一番の違いは、プレートがか
かっておらず、扉に直接「GIIN」と彫り込んである。
 その文字をカナが指でなぞりながらため息をつく。

「いいかげんやろ? 船長ってああ見えて、自分の興味ないことには、めっちゃ適当やねん」

 何の遠慮もなく、カナはギインの部屋の扉を開く。

「勝手に入っていいの?」
「うん、船長はほんまに適当やから、いっつも鍵かけてないしな。見られたくないものや売り物
は、みんな別に金庫持っててそこに入れてるから大丈夫!」

 嬉しそうなカナに連れられて、ギインの部屋に入っていく。

「うわぁ……」

 咲の口から本日二度目の感嘆がもれた。
 その部屋は、不思議なもので埋め尽くされている。天井には、くるくる回る鳥の飾りがついて
いて、その下には、大きな茶色の地球儀のようなもの。壁には、不思議な置物がいっぱい飾ら
れているし、机の上も大きな三角定規があると思ったら、筆や絵の具、なぜかまな板や包丁ま
で置いてある。
 部屋の隅に立てかけられているのは、地図だろうか。本棚には、分厚く難しそうな本から、子
供向けの絵本まで並んでいる。そこはまるで、ひっくり返したおもちゃ箱のよう。
 それでも、散らかっているように見えないのは、ものが乱雑に置かれているのではなく、ある
程度の法則があるからだろう。事実、一番奥の仕事用と思われる机は綺麗に片付けられてい
る。

「すごくない!?」
「すごい!」

 カナは、にこーと嬉しそう。

「めっちゃ遊ぶもんいっぱいあんねん! なぁなぁ咲ちゃん、ゲームしよう、ボードゲーム!」
「うん、どうやってやるの? 教えて、カナちゃん」

 海賊の絵が書かれた大きな箱をあけると、すごろくのような厚紙が出てくる。

「このサイコロを投げてなぁ。あ、でもこれ、人数が多い方がおもろいねん、おっちゃんたちもや
らへん?」

 カナの誘いに、藤井が嬉しそうに手をあげる。

「するするー! おっちゃんも混ぜて!」

 谷口の厳しい視線を藤井はまったく気にしない。一応遠慮がちに、谷口にも聞いてみる。

「えっとその、谷口さんは……」
「ご遠慮いたします」

(まぁこれが普通の反応だと思う)

 嬉しそうに、サイコロを振る練習をしている藤井を見て笑ってしまう。

「三人は、中途半端やから、もう一人連れてくるわ」

 そう言って部屋から出て行くカナ。しばらくすると、誰かを引っ張ってきた。

「こっちこっち、咲ちゃんを待たしてんねん、早く!」
「はいはい」

 そう言いながら、入ってきたのは、この部屋の主。
 青い髪をゆるく三つ編みにし、非常にラフな格好をしているが、左顔から肩まで流れる刺青
は、見間違えるはずがない。

「ギインさん!」
「こんにちは、咲様」

 まさかギインを連れてくるとは思わなかった。咲は、慌てて立ち上がると、勢い良く頭を下げ
る。

「こんにちは! あの、勝手に部屋に入ってすみません!」
「いえいえ、招いたのはこちらです。皆さんどうぞ、ごゆるりと」

 見ると、今まで笑っていた藤井は、腰の刀に手をあてているし、谷口からは静かな殺気を感
じる。
 ギインは、それを全く気にせず、穏やかに微笑むと、机の上にあったボードゲームをわざわ
ざ床におろした。

「ギイン、何するんの?」
「カナ、ボードゲームは、地べたに座ってやるのが、公式ルールだよ」

 にこやかに微笑むギインに、カナは疑いの目を向ける。

「絶対嘘やわ……」
「まぁまぁ、この方が盛り上がるから」

 事実、非常に盛り上がった。
 <強奪>のマスに止まったカナからお宝を巻き上げられて、藤井が叫びながら、頭をかかえて
いる。

「うわぁ!? カナちゃん、それひどすぎ!」
「おっちゃん、弱いなぁ……」

 カナの暴言を、ギインがにこにこしながらたしなめる。

「カナ、おっちゃんじゃないよ、警備課のお兄さんだよ」
「そんなんどうでもいいやん! 次は、ギインの番やで」

「そうかい? あ、5だ……<強奪>のマスだね。じゃあ私もカナのまねをして、警備課のお兄さ
んからお宝を巻き上げようかな?」
「ぎゃあ!? 鬼!」

 このゲームは、海賊になったプレイヤーが各地でお宝を集め、時には他のプレイヤーから金
銀財宝を強奪しながらゴールを目指すといったゲームだ。

「はい、次は咲ちゃん!」

 カナからサイコロを受け取り転がす。

「えっと……3です。あ、また<強奪>」

 なんとなく藤井を見ると、涙目になりながらフルフルと首を振っている。

「じゃあ、ギインさんから貰おうかな?」
「うわーん、咲さぁああん!」

 嬉しそうな藤井の声。

「咲ちゃん、そのおっちゃん、あんまり甘やかしたらあかんで」
「そうそう、調子に乗りますよ?」
「ひどい言われようだな、おい!?」

 明るい空気に笑いが止まらない。カナは立ち上がると、「お菓子とジュース持ってくる!」と言
い、藤井の腕をつかむ。

「おっちゃんらにもあげるから、手伝って!」

 藤井は、一瞬谷口を見たが、すぐににこりと笑顔で頷く。

「おっちゃんは、ジュースよりビールがいいなぁ」
「おっちゃん、ほんま、すぐ調子にのるなぁ……」

 そんなことを言いながら仲良く出て行く二人を、ギインは穏やかな笑顔で見送っている。

「咲様、カナの友達になってくれてありがとうございます。あれは大人に囲まれて育ってしまった
ので、初めて出来た友達に戸惑いつつも喜んでいます」
「そんな、私の方こそ嬉しいです、ありがとうございます!」

 カナのおかげでこんなにも楽しい時間が過ごせたのだ。感謝するのはこちらの方。
 そう伝えると、ギインはクスクスと笑う。

「本当に、貴女は素直で良い方すね。大丈夫ですか?」

 少し心配ですと、ギインは言う。

「この国は他に類を見ないほど、特殊ですからね。お優しい貴女がつらい思いをしていないか、
私もカナも心配しております」

 後ろには谷口がいる。

(大丈夫ですって言わなきゃ……)

 そう思っているのに、言葉はなかなか出てこない。
 ある日突然、おかしな世界に紛れ込んでしまった。自分は、人間なのに、"獣"と呼ばれる世
界。美しい王様に愛されて、クールだけどどこか優しい賢者に面倒をみてもらう日々。

(嫌じゃないけど……)

 谷口や藤井に護衛されての外出。すでに開けられていた、カナからの手紙。うるっと涙が込
み上げてくる。

「みんな、優しくしてくれます。でも……」

 その声は、震えてしまっている。事実、みんなみんな優しいのだ。しかし、それまでの生活と
違いすぎる。護衛なんて、ようは監視されているのだ。手紙の中まで確認されてしまっている。
この国のありとあらゆる法律は、黒獣を保護し、ありとあらゆる法律は、黒獣を縛らない。しか
し、それは決して自由ではない。

「身動きが取れないんです……」

 何をしてもいいと言われるが、見えない糸で体中をからめ取られてしまっている。
 ギインは、そっと頬にふれ、こぼれた涙をぬぐってくれる。

「私は一介の商人でございます。できることと言えば、このような遊戯で咲様の気を紛らわせる
ことくらい」

 困ったようなギインの顔を見て、咲は慌てて涙を拭う。

「大丈夫です! すみません、ちょっと疲れているみたいで……」

 誤魔化すように笑うと、ギインもにこりと笑ってくれる。
 扉の向こうが騒がしい。カナと藤井が戻ってきたようだ。

「咲様、何か欲しいものがありましたら、どうぞ、この私めにご相談ください」

 ギインの言葉に、カナは嬉しそうに話に入ってくる。

「そうやで、咲ちゃん! ギインに手に入れられへん物なんてないで」
「ふふ、咲様ならお友達割引でお安くしておきますよ」

 目の前の人たちは、海賊と呼ばれている。

『金さえ払えば何でも手にいれる』と言ったのは、誰だったか。

『やつらの信用は、金で手に入るし、金で消える』といったのも誰だったか。

(何でも? 何でも手に入るの?)

 それは例えば、元の平穏な生活とか。
 ギインに聞いてしまいたかった。しかし、日が落ちて、城に帰る時間になっても、どうしても聞
けない。聞いてはいけない、聞いたら何かを裏切ってしまうという、訳の分からない罪悪感で胸
がいっぱいになる。

「また遊びに来てな!」
「三ヶ月ほどは、この国に滞在しておりますので」

 こちらに笑顔で手をふるギインとカナ。
 咲は、結局最後まで聞くことができなかった。









つづく





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