咲が目を覚ますと、隣で王がすやすやと眠っている。今日は、いつもより早く目が覚めたよう
だ。
 窓から差し込む朝日に照らされ、黄金の髪がキラキラと輝いている。まるで彫刻のような横
顔。長いまつ毛が滑らかな頬に影を作っている。思わず出てしまうため息。
 そのような人と自分は、どうして一緒に寝ているのか。そして、慣れとは怖いもので、それは
もう習慣になりつつある。

「……うーん」

 王が起きた。目が合うと、王はにこりと笑う。

「おはよう咲」
「おはようございます」

 寝起きが良いのか、王は優雅に起き上がる。時計を見れば、まだ六時だった。王は毎朝こ
の時間に起きているのかもしれない。六時十五分になると、部屋のメイドが二人分の朝食を運
んでくる。
 ソファに並んで食事を取っている間、王は終始にこにこしている。

「ねぇ、咲、それを食べ終わったら、咲の髪をといていい?」
「え?」

 一瞬、それくらいいいかなと思ったが、一国の主に髪をとかせるなんて、自分は何様なんだと
言いたい。

「えっと、駄目です」

 しゅーんと王の元気がなくなる。

「あ、じゃあ、私が咲の服を選んで良い?」

 王はクローゼットにかけよると、ガラガラと勢い良く開く。そこには、膨大な数の衣類が並んで
いるが、どれも着たいとは思わない。

「えっと、この服でいいです」

 いつもの制服を見せると、王はにこりと笑う。

「そう。残念だけど、それも咲に似合っている」

 それからというもの、王は、咲が鏡台に座って髪をといたり、顔を洗ったり歯を磨いたりする
姿を嬉しそうに観察する。

(何が楽しいのかな?)

 まったく分からないが、妙に居心地が悪い。一時間くらい経つと、王は立ち上がった。飽きた
のかと思いきや、「私も公務に行く準備をしないと」と呟いている。
 そういえば、仕事中の王は、豪華な衣服をまとい、髪を綺麗に結い上げていた。

「行って来るね」

 にこぉと微笑みかけられる。しかし、何故か王は出て行こうとしない。

「行って来るね」
「ええっと、いってらっしゃい?」

 王は急にいやいやと首をふる。

「うわぁ嫌だ! 咲とずっと一緒にいたい! ああ、でも公務を投げ出す訳にはいかないよ」

 一人で葛藤した後、くすんくすんと言いながら、部屋から退場する王。

(変な人)

 もう怖くも気持ち悪くもないが、やっぱり変だ。
 ただでさえ広い部屋は、一人になるとさらに広く感じられる。

「今日は何をしようかな?」

 現金なことに、元の世界に帰れると分かったとたんに、心が軽くなった。
 この世界では、まるで毎日が夏休みのようだ。そう考えると、不謹慎だが少しだけわくわくして
しまう。

(でも、友達のいない夏休みか……)

 唯一友達といえる王は、朝早くから夕方まで仕事でいない。賢者は、毎日黙々と本を読みふ
けっている。

「あー…暇」

 ソファに寝転がり両手を挙げ、めいいっぱい伸びをする。

「暇なのか?」

 声に驚き目を開くと、瑞垣が覗き込んでいた。

「きゃっ!?」
「なんだぁ!?」

 思わず上がった悲鳴に、瑞垣も驚き、情けない声を上げる。

「瑞垣さん、いつの間に入ってきたのですか!?」
「あ、わりぃ! つい、いつもの癖でこっそり入ってきちまった」

 悪びれた様子もなく、豪快に笑い飛ばす瑞垣の姿は、初対面時の掃除のお兄さんスタイル
だ。ということは。

「サボリですか?」
「休憩と言ってくれ」

 瑞垣は、我が物顔で向かいのソファに座り、長い足を組み合わせる。その姿はやけに様にな
っていて、まるで、咲が瑞垣の部屋に迷い込んでしまったかのようだ。

「咲は暇なんだな……」

 そう言いながら、両腕をソファに預けると、どこかのマフィアのボスのようだ。これで黒いスー
ツを着用していて、ソファの素材が、黒光りする革だったら、言うことない。

「ちなみに俺は暇じゃねぇ」

 どこか遠くを見ながら、瑞垣は呟く。

「お城の掃除、ですよね」
「まぁ、正確には備品を壊したペナルティだがな。なぁお前、暇なら手伝わねぇか? なーんて、
黒獣はそんなことしねぇか!」

 カッカッカッと笑う瑞垣に、咲は首を振る。
 何をしても良いということは、逆に考えると、何もすることがないのだ。何もすることがなかっ
たら、ふとした瞬間に、王を置いて帰りたくなってしまうかもしれない。それは人として、どうかと
思う。

「あの、手伝ってもいいですか?」

 そう提案すると、瑞垣は驚きガッツポーズをする。

「マジでか!? いやー言ってみるもんだなぁ、今度の獣は本当に良いやつだ」

 手放しで喜ぶ瑞垣を冗談で軽く睨みつける。

「それって都合のいい奴ってことですよね?」
「ははは、細かい事は気にするな!」

 わしゃわしゃと頭をかき混ぜられる。

「よーし、咲! 掃除をするぞ!」
「はい、頑張ります!」

 この言葉を咲は心の底から後悔することになる。
 拭いても拭いても床の終わりは見えてこない。この長い廊下をカタツムリのような歩みでふき
掃除をしながら進むと、いったい後何時間かかるのだろうか。

(あー……気軽に手伝うなんて言わなければ良かった)

 遥か遠くに同じように床を拭く瑞垣が見える。ゴム手袋に長靴、三角巾を頭に巻いている姿
から、パッと見は瑞垣と分からないが、咲も今、同じような格好をしている。
 繰り返し行う屈伸運動で足がふらついているし、腕も少し痛くなってきている。

(掃除がこんなに過酷だったなんて! でも、そういえばコレ、ペナルティだったわ)

 よく考えてみると、楽なはずがない。その場にへたり込んでいると、瑞垣がバケツを持ってこ
ちらに歩いてくる。

「おー大丈夫か?」
「だ、大丈夫じゃないです」

 力なく首を振る。

「休憩するか?」
「休憩どころか……もう立ち上がりたくもないです。すみません、体力がなくて」

 瑞垣がゴム手袋をした手を差し出すと、咲は苦笑いしながらその手をつかむ。

「黒獣が皆、お前みたいに素直だったら、良かったのによ」
「え?」

 瑞垣が咲を見る目には、後悔のような色が浮かんでいる。

「無理な時に、無理だと。助けて欲しいときに、助けてと言ってくれれば分かりやすいのによ。
そうすれば、こうして手を差し出してやれる。お前は、困ったことがあれば俺に言えよ。
俺じゃなくても、谷口でも藤井でもいい。政総部は、国民の安全を守るために存在するんだ。
咲、お前も守るべき対象だ」
「国民じゃなくて、獣でも?」

 冗談を言うと瑞垣も笑う。

「そうだ、猫も杓子も、黒獣も、みんなひっくるめて政総部が守ってやるよ。っと、藤井?」

 廊下の端っこで、真っ赤な髪を揺らしながら手を振っている人がいる。

「部長ぉお!」
「なんだぁあ!? また海賊かー!?」

 藤井は大急ぎでこちらにかけてくると、「ちょ、王城で、大声出さないでくださいよ!」と苦情を
言う。

「お前も大声で呼んだろうが!」
「あ、すみません」

 謝る藤井。条件反射で謝っているように見える。

「で、なんだ? 俺は掃除で忙しいんだよ」
「何でこんな時に限って、真面目に掃除しているんですか!? いつもはサボってばっかりなの
に!」

「うるせぇ!」
「そんなことより部長、マジで大変なんです!」

 藤井の焦り方は、尋常でない。何かとんでもない事件が起こったのかもしれない。

「黒獣が、黒獣がどこにもいないんです! 賢者様も行く先を聞いていないって、今までそんな
ことはなかったって! 迷子になられたのか、誘拐でもされてしまったのでしょうか!?」

 ザァと瑞垣の顔から血の気が引いて、見る見る青くなってゆく。

「あーその、藤井くん、その情報はどこまでまわっているんだい?」
「どうしたんですか、急に? どこまでって、そんなの王城中に……」

「王城なんてどうでもいいんだよ! それは、総務部までまわっているのか!?」
「総務部って、日浦部長にってことですか? そんなの当たり前じゃないですか、むしろ自分達
政総部は日浦部長から聞きましたし」

「なんてこった……」

 瑞垣は呻き声をあげながら、頭をかかえてしまう。

「な、何なんですか!? 部長、気分でも悪いんですか!?」

 慌てる藤井の袖を、咲は困惑しながらツンツンと引っ張る。

「あ、掃除の方ですか? お疲れ……」

 パチパチと数度の瞬き。

「え? 嘘、もしかして……咲さん?」
「はい」

 咲が遠慮がちに頷くと、今度はザァと藤井の顔が青ざめる。

「な、なな」

 咲と頭をかかえる瑞垣とを交互に指差す。

「部長まさか?」
「あーん? 掃除を手伝ってもらってたんだよ、文句あっかぁ!?」

 開き直った瑞垣は、はっはーんと笑い飛ばしているが、その頬は、ヒクヒクとひくつき、さすが
に動揺を隠し切れない。藤井にいたっては泣き出しそうだ。

「何やってんですかぁあ!?」
「俺だってこんなに大事になるとは思っていなかったんだよ!」

「なるでしょう? 普通に考えたら分かるでしょうが! 馬鹿、馬鹿馬鹿部長の馬鹿!」
「上司に向かって馬鹿っていうなー!」

 まるで小学生のような口げんか。

「あ、あの……」

 咲が困って止めようとすると、瑞垣はくわっと目を見開き怒鳴る。

「なんだよ!?」

 ビクッと身を縮めた咲を見て、慌てて訂正する。

「あ、わりぃ違う! 俺が悪い!」
「そうですよ、全部部長が悪い!」

 ポカリと藤井の頭が殴られる。

「あの、掃除をしたらダメだったんですか? でも、私は賢者様に何をしてもいいって言われて
いますよ?」
「それは、王かあるいは賢者の目の届く範囲でだ。しまった、賢者に一言言ってから手伝っても
らえば良かった」
「いや、部長、その考えが根本的に間違っていますって! そもそも咲さんにペナルティを手伝
わせたら駄目でしょう!」
「すみません、私のせいで……」

 良かれと思ってしたことが、何だか大変なことになってしまったようだ。

「あの、私、お城の中で迷子になったんです。そこを瑞垣さんに助けてもらった……というのは
どうでしょうか?」

 遠慮がちに提案された言葉に、瑞垣と藤井はそろって口を開け沈黙する。

「え? 駄目ですか?」

 そのとたんに、瑞垣は大きく腕を広げると、そのまま抱きしめてくる。視界いっぱいに瑞垣の
ピンクのエプロンが広がり息苦しい。

「お前が好きだ!」
「ええ!?」
「自分も大好きです!」

 藤井も両手を組み、目をウルウルさせながらそう叫ぶ。それは最高の提案だ。

「そうと決まったら、咲、今すぐエプロンを取れ! 長靴も全部全部! 証拠隠滅だ! ほい、
藤井」
「ええ!? 渡されても、自分はいったいどうすればいいんですか?」
「焼け、焼いてしまえ! 日浦のことだ、三角巾から黒獣の髪の毛一本でも見つかってみろ! 
全てバレるぞ」

 その言葉に、藤井はブルッと身体を震わせる。

「総務部って、そんなに怖いんですか?」
「総務じゃねぇ、日浦が怖いんだ! 例を挙げるなら、殴った後に一生をかけて、ありとあらゆ
る嫌がらせをされてしまうような恐怖だな」

 瑞垣は少し遠い目をしている。それは確かに怖いかもしれない。
 藤井が、急かすように手を叩く。

「さぁさぁさぁ、話も決まったことですし、部長は早く行ってください!」
「あん、どこへだ?」
「賢者様のところですよ! 黒獣を保護したと連絡しないと! 自分は証拠隠滅してきます!」

 瑞垣は、「任せた」と言わんばかりにグッと親指を立てる。

「その後は、部長が日浦さんのところにも報告に行ってくださいね。自分は、日浦部長に問い
詰められて、嘘を突き通せる自信がありません!」
「俺もない! となると……」

 二人はこちらを見た後に、何を確認しあったのか、グッと親指を立てる。

「咲さんにお任せしましょう!」
「そうしよう!」
「ええ!?」

 突然、身体が宙に浮き、世界が反転する。気がつけば、咲は瑞垣に、まるで荷物のように肩
にかつがれている。

「そうと決まったからには、まずは賢者だ!」

 慌しく部屋に駆け込んでも、賢者は相変わらず淡々としていた。ただ、フードの下からは不機
嫌そうなオーラが漂っている。

「何だ? どうして黒獣が政総部長にかつがれているのだ?」

 瑞垣は、咲を肩にかつぎながら、堂々としている。

「俺が拾ったからだ!」
「その、えっとお城の中で迷子になってしまって……」
「そうか」

 賢者は、携帯電話を取り出すと、「黒獣が見つかった」と端的に報告する。賢者に焦った様子
は全くない。

(藤井さんが言っていたほど、大変なことになっていないよね?)

 咲がホッと安心していると、賢者は本のページを一枚めくりながら話し出す。

「お前は、まだ正式な王の獣ではない。部屋から出るときは俺に必ず行く先を言え。この世界
に慣れるまでは、状況を判断して護衛をつける、いいな?」
「はい、すみませんでした」

 瑞垣の肩の上から器用にペコリと頭を下げる。
 賢者はそれで納得してくれたようで、今度は瑞垣に話しかける。

「謁見室に総務部長が呼びつけられているぞ。早く行かないと、首が飛んでいるかもな」

 表情は見えないのにフードの下から、はっきりとこちらを見ているのが分かる。

「咲、言っただろう? 王を愚かにするのも幸せにするのも黒獣しかいない、と」

 咲が何かを言う前に、瑞垣は走り出していた。

「瑞垣さん!?」
「喋るなよ! 舌噛むぜ」

 来た時と同様に、慌しく部屋から出て行く二人を確認した後、賢者は静かに本を閉じる。
先程から、本の内容など少しも頭に入って来ない。

(咲が見つかって良かった)

 今も微かに指が震えてしまっている。

(お前は逆らうな。素直に俺の言うことを聞いていればいい)

 そうすれば、皆が幸福になれるのだから。








つづく







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