霧雨月 12日 朝 めずらしく晴天

それから2日間。うっかり楽しい時間を過ごしてしまいました。

初めてできたお友達との時間はとても楽しくすぎて行きます。
でも、やっぱりお城にいるお姫様のことが気になって仕方ありません。

『フェリアちゃんは、お姫様の妹かもしれないんだよね』

数日を共に過ごして分かったことは、やはり少女が偉い身分の人ということです。
皆、少女を見ると頭を下げ、道を譲ります。

『フェリアちゃん、フェリアちゃん』

私は、部屋で地図を広げている少女の袖を加えて引っ張ります。

「んー?どうしたんや、ガル」

少女は私のことをガルと名づけて呼んでいます。
本当の名前を伝えることが難しかったので、今はそれで良いと思います。
かなり男らしい名前ですが、この姿では文句は言えません。

『私、一度、お家に帰ります』

そう伝えたいのですが、どう言っていいのやら悩みます。
私は、少女が見ていた地図を覗き込むと、東の塔がある森をごつい手で指します。

「おっ!さすがガル、分かってんなー。かしこいなーやっぱそこやな。
いつまでも、ウィルサルにおってもしゃーないしな」
『?』

少女は、うんうんと頷きます。

「ガル、お願いがあるねんけど、ちょっとそこまで連れて行ってくれへんか?
 羽あるからたぶん空、飛べるやろ?」

それは願ってもないお話なので、私は喜んで少女を背中に乗せます。
部屋のベランダから、バサッと羽を広げ、青い空へ舞い上がると、少女がぎゅっと背中の毛を
握ります。

「うわっ!すごいな、めっさ気持ちええわ!!」
『フェリアちゃんは軽いから、半日くらいでつきますよー』

そういえば、ご主人様、今ごろ何しているんだろう?
そのときの私は、とても暢気でした。




霜雨月 夕暮れ

初めは空の旅を楽しんでいた少女ですが、さすがに飽きたのか疲れたのか、途中で寝てし
まいました。
一度、少女が背中から落ちそうになったので、慌てて口でくわえます。
なので、東の塔に辿り着いたときには、少女の服がよだれ塗れになってしまっていました。

『すみません……』

シュンとしていると、少女はまったく気にした様子を見せず「ありがとうなー」と私の頭を良い子
良い子します。

「それにしても、ボロい塔やな」

少女に釣られて塔を見上げ、私は唖然とします。

『は、半分……ない!?』

正確には、半分でなく、塔の最上階部分が消し飛んでいます。

『お姫様っっご主人様!?』

気がつけば、必死に走り出しています。背後で、「ガル!?」と少女の呼ぶ声がしましたが、今
はそれどころではありません。
私は慌てて塔の中に入ると、そのまま広間に駆け込みました。

「うわっ!?」

見知らぬ白い人が、私の姿を見て驚きの声を上げます。

「あらあら、サクラちゃんお帰りなさい。帰りが遅いから心配していましたのよ?」

お姫様の優しい声がします。

「遅いぞ、使い魔!」

ご主人様も箸を持ちながら、怒鳴ります。
そして、極めつけにエプロン姿の勇者が、右手にしゃもじ、左手に茶碗を持ちながら「サクラち
ゃん、もう、ご飯食べた?」と聞いてきました。

『……何やってるんですか?』

広間にわざわざ机と椅子を運んできたのか、そこはリビングのように改装されています。

「今日は、ハバド風家庭料理だよー」

そこには、白米と味噌汁、そして焼かれた鮭にたくあんが並んでいます。

『おいしそうです。じゃなくてっっ!!?』
「うるさいぞ、使い魔」

ぱりぱりぱりとたくあんをほうばりながら、ご主人様が顔をしかめます。

『………ご主人様、この姿で殴られるのと、人型で殴られるの、どっちがいいですか?』
「殴ることは確定なのだな」

チッと舌打ちをしながらも、ご主人様は、呪文の坂戻しを始めます。
……たくあんを食べながらいいかげんに……。

「ほらよ」
「なんかむかつくんですけどーー!!?」

人型になった私は、とりあえずご主人様を思いっきり殴りかかりましたが、いかんせん子どもの
腕、リーチが足りません。

「つ、次に獣化したら、思いっきり殴り飛ばしますから」

真剣な表情で言うと、ご主人様はボソリと「悪かったな」と言いました。
いくらご主人様でも、さすがに今回のことには悪いと思ったのでしょう。

「って、許すかーー!!?ご主人様のせいで、ウィルサルで捕らえられて、お友達ができたんで
すよ!!もう、すっごく嬉しくて楽しかった……あ、あれ??」

結果的に、ものすごく良かったことに気がつきます。

「ま、まぁ許してあげますよ……」

そういうと、ご主人様はにやりと凶悪に笑います。

「ほう、ずいぶん楽しんできたようだな」
「……あっそうだ、フェ……あ、アリアちゃん呼んでこなきゃ!」

とっさにフェリアと言いかけましたが、偽名を使っているということは、何か問題があるのかもし
れません。私がわざとらしく話題を変えると、見知らぬ男の人が、さっと顔を青くします。

「フェ、いや、あっ、アリア様がこちらに!?」

あわわわわっといった具合に慌てると、箸を持ったまま、外の方へ走り出します。

「あれ、グダル先生?デザートもありますよー」

勇者の呼びかけもまったく耳に入っていないようです。
ご主人様は、その様子を見ながら「おい、お前ちょっと見て来い」と私に命令します。

「あっはい!……まぁ、言われなくても行きますけど」

フェリアちゃんが心配なので。てってってっと小走りで外の方へ行くと、怒声が響きます。

「どこいっとったんじゃ、われぃ!!!」
「うっ、こ、この声は……」

恐る恐る扉を開け、外を見ると、予想通り少女が白い男を足蹴にしています。

「も、申し訳ありません、フェリア様!」

少女は、ガンと男を踏むと「今は、アリアや」とすごい形相で睨み付けます。

「グダル、お前本当に使えんのぉ!今の地位は誰のお陰じゃ!?」

グダルと呼ばれた少女よりずっと年上の男の人は、フェリアに頭を下げます。

「もちろん、フェリア様のおかげです」
「アリアやぁ言うとるやんけ!?」
「す、すみません」

ど、どうしよう……。本当にどうしよう。
少女が心配で出てきたものの、少女より白い男の人の方が心配になってきます。
それでも、私は頑張って声をかけました。

「あ……アリアちゃん?」

その声に、少女はキッとこちらを見たものの、私の姿をみてきょとんと目を見開きます。

「……誰や?」

小声で、足元の男の人に聞いています。そういえば、少女は私の人型を見るのが初めてでし
た。

「あ、あの、ガル……です」

オドオドと名乗り上げると、少女は眉を潜めます。

「ガルは、獣ですのよ?」

いちおう初対面の人には猫を被るようです。

「ええっと、私、魔物でして……。人型と獣型、両方になれるんです。今は、人型なのです」
「ああ、そういえば、魔道師が呪文を唱えたら、獣が少女になりましたね」

白い人もそう言ってくれましたが、少女は呆然とこちらを見ています。

「し、信じてくれますか?」

少女は、ギギギギッと強張ったまま首を振ります。

「ええっ!?そんなお友達だって言ってくれたじゃないですかー!?
 一緒にご飯食べたり、同じベットで寝たりしたのに、ひどいよーーフェリアちゃん!!」

その言葉で、白い男の人が、「あ、アリア様……?」と、不審そうに少女を見上げます。

「あ、阿呆!なんや、その目は!?その時は、確かに獣やったんや!
 メスやなんて知らんやん!?」

慌てて言い訳をする少女を見て、とても悲しい気分になります。

「う、ううっ……お風呂にも入れてくれたのに……」
「う、うわーーー!!?そうやけど、そうやけど、ちょっ、待て、違うんやーーー!」

何故か真っ赤になりながら、否定する少女。
そんなとき、私たちが帰って来ないのが気になったのか、ただ食事が終わったのか、「どうなっ
たのだ?」とか言いながら、ご主人様達が出てきました。
そして、アリアちゃんを見て、お姫様が一言。

「あら、アリア姫……?ではなく、フェリア王子ではありませんか」
「お、王子……?」

お姫様にそう言われ、勇者もまじまじと少女を見つめます。

「あっ本当だ!王子だ!何してるんですか、そんな格好で!?」

少女は、エプロン姿の勇者を見て、「お前こそ、何してんねん……。お前にだけは言われとうな
いわ」と冷たい視線を向けます。

「まったく相変わらず、しっかりした女やで。アンタの親父さんは、コロッと騙されてくれたのに」

少女は、頭のリボンを外し、ふわふわの金髪を、きつく一つに縛ります。
そして、そのまま着ていたドレスを脱ぎ捨てると、そこには金髪青目の絵に書いたような王子様
が現れました。
その様子をにこにこしながら見ていたお姫様。

「アリア様はお元気ですか?」

そう訪ねた後、私にこっそりと、「アリア姫とフェリア王子は、双子のご兄妹ですの」と教えてくれ
ます。

「あー元気や。アンタのことを心配してたで」
「それは、申し訳ありません」

お姫様は悲しそうな表情を浮かべます。

「え、えと、フェリアちゃんが王子様で、アリアちゃんはお姫様??」

予想外の事態に軽く混乱していると、元・少女の王子が、こちらに近づいてきます。

「お前、ほんまにガルなんか?」

その問いにコクンと頷くと、王子がウガーーと頭を掻きむしります。そして、「ごめん!」と勢い
良く頭を下げました。

「え??」
「ガルが人型になれるなんて……ましてや女の子やなんて、知らんかったんや。その、いろい
ろごめんな?」

盛大に顔を赤くしている王子を見て、勇者が眉を潜めます。

「ちょっと王子、そのお話を詳しくお聞きたいのですが?」
「な、なんやねん、お前は!?そんなことより、依頼は達成したんやろうな?まだやったら、クシ
ァートの勇者権限剥奪すんぞ」

その言葉で、今度はご主人様が、眉を潜めます。

「クシァート? その話、詳しく聞かせていただきたいな?」
「なんや、こいつら!?おい、グダル、説明せい」

グダルと呼ばれる白い人は未だに地面に正座したまま説明を始めます。

「えー…どこから話したらいいものやら。
 そちらにいる方が、エリア姫をさらった魔道師のガラハドさんです。
 そして、こちらの方は、シクァートの第一王位継承者フェリア殿下です」
「なんで、俺の紹介まですんねん!?なんのための女装やったんや!阿呆か」

王子は、ポカリと殴ります。

「いえ、だってもう、ここでは正体バレバレではないですか」

白い人も遠慮がちに反抗します。

「あの、貴方は?」

遠慮がちに聞くと、白い人は少し投げやりぎみに答えてくれます。

「私は、シクァートの白の賢者。グダルです」
「け、賢者様?」
「……この状況では、見えないと思いますが」

きらりと目頭に涙が光ります。
申し訳ないですが、確かに今の状況では偉い賢者様には見えません。
王子はご主人様を、上から下まで見ると、「ほぉ?」と呟きました。

「お前が、エリア姫を攫った魔道師か。ウィルサル国を敵に回すとは、なかなか根性あるで。
で、何が目的やねん?」

ご主人様は、軽く額を押さえます。

「根性腐った勇者、馬鹿な賢者。それに引き続き、この王子……。
 夢も希望もあったものではないな」

ご主人様の言いたいことは少しだけ分かるような気がします。
外見は、物語に出てくるような王子様。
でも、物語には決して、こんなに柄の悪い王子様は出てきません。

「阿呆か!権力者なんて、みんな曲者ばっかりじゃ!
 ……まぁ、下々の者に夢を見せるのも権力者の務めですけどね」

最後は標準語を話しながら、にっこりと輝かしい王子スマイルを見せてくれます。

「う、うわー…」

私が引いていると、王子はムッとします。

「ガルにまで引かれたら、ちょっと悲しいやんけ……知ってたやろ?」

確かに王子は、私には初めから素を出していました。

「す、すみません」
「謝らんくていいけど……」

王子は少し拗ねながら、ご主人様に「で?なんや?」と言い、話を元に戻します。

「聞いてどうする気だ?」
「まぁええから言えや。気になるやん」

そんなことを言い合っている二人の間を、鈴のような声が割って入りました。



「世界・征服、ですわ」



見ると、お姫様がにこにこしていました。

「はっ?」

王子は呆然と口を開けます。

「世界征服だ」

ご主人様も無表情に繰り返します。

「はははっと、笑い飛ばしたいところやけど……」

王子は、ぐるりとその場の人を見回します。

「エリア姫に、勇者ウルか。微妙に笑われへんなぁ、この面子。
 おい、グダル、この魔術師のにぃちゃんと戦ったんか?」
「は、はい」

突然話を振られて、賢者は少しとまどっています。

「強いんか?」
「はい、かなり。詠唱なしで、呪文を使い、その威力は高位魔道師レベルです。それに……」

賢者は真剣な顔をして、最上階が吹き飛んでいる塔を見上げます。

「詠唱をすると、最高レベルの魔法を仕えるようで、1度の破壊力はご覧の通りです。
 わたくしも避けるだけで精一杯というところでしょうか」
「ふーん、それはスゴイな。お前は無駄に顔と魔術の腕だけは良いからなー。嘘ではないやろ」

王子は、はたと我に返ります。

「つか、お前ここで何しててん?」
「あ、その……」

賢者は気まずそうに目を逸らします。その言葉に勇者が「ええっ!」と声を上げます。

「ちょっとグダル先生! 僕には、クシァート王子の直々の命って言ってたじゃないですか!?」
「い、いや」
「なんや、下克上か?」

「と、とんでもありません! ウィルサル王と、王子が同時にウルに"エリア姫の奪還"を依頼し
たようですので、どうせなら、わたくしが介入して、勇者と共に姫を救った方が、ウィルサル王に
恩を売れるかと思い……」

その後に「失敗しましたが」と、泣きそうな声で続けます。
王子は、腕を組み賢者を見下ろします。

「申し訳ありません!」

ガクガク震える賢者に、王子はにっと笑います。

「いや、お前それ、けっこう考え方としてはええで?
 お前もそこそこ使えるようになったんやなぁ。
 でも、今度から私にも軽く相談せい。その方が成功率上がるわ」
「は、はい!王子」

「おいウル、このことウィルサル王に言ったら、消すからな」
「…………」

勇者は、返事もせずに黙り込んでいます。

「ゆ、勇者様?」

つんつんと袖を引っ張ると、勇者は悔しそうに顔を背けます。

「嘘をつくなんて、ひどい!」
「……一度こちらについておきながら、裏切ったお前が言うな……」

おおっ!?余りの理不尽さにご主人様が、勇者に突っ込みました。
ご主人様、人生初のツッコミです。

「僕だって、裏切りたくて裏切ったわけではないよ!
 エリア姫を奪還したら、魔道師もろとも塔ごと跡形もなく消し去るっていうから、グダル先生を
手伝うことを条件に、命だけは助けて欲しいと取引したんだ」
「ゆ、勇者様……」

じーんと胸が熱くなります。でも、ご主人様は相変わらず不審な目を向けています。

「……それだけか?」

うっと固まる勇者。この人は、どうも嘘がつけないようです。

「どうせ、手伝う変わりに使い魔をくれとか、そういう条件も出したんだろう?」
「ゆ、勇者様……?」

私の不審な視線を避けるように、勇者は乾いた笑い声を上げます。
その様子を、王子が怪訝な顔をしながら見ています。

「お、お前、子ども好きのええ奴やと思っていたら、そういうことやったんか!?
 こっわー、もうアリアには一生近づくなっっ!」
「違いますよ!?幼女に興味などありませんっっ誤解です、サクラちゃんは、特別なんです!」
「サクラ??ああ、ガルのことか」

その言葉に、勇者はムッとします。

「さっきからガルガルって何のことですか? ……その親しげな態度がムカつく」
「お前、一国の王子にムカつくって!?」

勇者は、拳をにぎり、腰を落として構えます。とたんにビリッと深刻な空気へと変わります。

「……なんや、私に……クシァートに楯突く気か?」

勇者は、その言葉に返事をせず、無言で首にかけていた、ペガサスの紋章を引きちぎりまし
た。それは、クシァート王家の紋章です。

カランと足元に落ちた紋章を見て、賢者が立ち上がり、王子を庇うように、勇者の前に立ちふ
さがります。

「ウル、落ち着きなさい。騙したことは謝ります」

勇者は無言で首を振ります。

「魔道師様、裏切ってすみません」

その目は、怖いくらい真剣にご主人様に向けられています。

「今、ここで、クシァートの王子を倒したら、もう一度僕を仲間に加えてくれませんか?」
「え、ええっっ!!?」

驚いたのは私だけのようで、ご主人様もお姫様も、平然としています。

「そうだな、見事倒したら考えてやってもいい」

凶悪な笑みを浮かべながらご主人様が言います。お姫様は、少し考えた後、「捕縛の方が良く
ありませんこと?」と綺麗な笑顔で言います。

「そうだな、捕縛しろ」

その声が戦闘開始の合図になりました。
でも、魔術師の最高峰の賢者と、全ての魔術が効かない特異体質の勇者との戦いの結果は、
火を見るよりも明らかです。
ふわっと軽やかに跳躍した勇者を目掛けて、賢者が放った太いつららが何本も突き刺さりま
す。しかし、つららは勇者の身体を傷つけることができず、粉々に砕け散ってゆきます。

「お逃げください、王子!」
「言われんでも逃げとるわっっ!!」

言葉の通り、王子は力の限り、森の方へと走っています。

「あーーちくしょーー!!ウルは手ごまに置いておきたかったのにーーー!!?」

ガツッと痛そうな音がして、賢者がぐらりと傾き地に伏します。
勇者は、賢者の意識がないことを、ちらりとみて確認すると、王子の後を追うべく走ります。

「ちょ、ちょっと待ってください!ご、ご主人様、勇者様を止めてくださいよ!」

ご主人様は、とても嫌そうに顔をしかめます。

「昨日まで、そこの賢者と戦っていたのだ。もう使える魔力などほとんど残っておらん」
「は?一緒にご飯食べてたじゃないですか??」
「あれは、戦いすぎて、皆、腹がすいたから、一時休戦していたのだ」
「えー!?そんなっどうにかしてくださいよっ!?」
「馬鹿者!あのような化け物、魔術なしに止めれるか!!」

た、確かに。正確には魔術があっても、効かないのですが……。

「でもでも、フェリアちゃんは私の初めてのお友達なのです!助けてください!!」

半泣きになっていると、お姫様の声がします。

「そうですわね、勇者様のあの様子ですと、
 手加減できずに王子に大怪我を負わせてしまいそうですわ。
 ……それでは、取引材料として扱い難くなってしまいますわ」

後半は、小声でご主人様に耳打ちします。

「ちっ仕方がない」

ご主人様は、舌打ちをすると、私に命令します。

「おい使い魔、魔力を解除しろ。大人の姿で勇者の動きを止める」
「は、はい?」

私は、「解除」と唱え、魔力を開放させると、ご主人様と共に勇者の後を追います。
その先では、王子を追い詰めた勇者が、馬乗りになり腕を振り上げていました。

「ま、待ってください!」

その声で、勇者はピタリと止まります。

「サクラ……さん」

さん?思わず首を捻ってしまいましたが、勇者は、私がこの姿のときは、そう呼ぶようです。

「王子を庇うんですか?」

捨て犬のような目で見られ、思わず怯んでしまいますが、隣のご主人様からは「……キモイ、こ
いつ本当にキモイ」と言う呟きが聞こえてきます。

「フェリアちゃんとは、お友達なのです! 痛いことしないでください!」

一生懸命訴えると、勇者の目に涙が浮かびます。

「なんか僕、悪者みたいなんですけど……」

勇者の下で、王子が苦しそうに呻きます。そして、余計なことを言ってくれます。

「……自覚なかったんか、阿呆」

勇者は、ムッとした表情をすると、「じゃあ、悪者らしく、王子様をボコボコにしてから捕らえる
よ」と爽やかな笑みを浮かべます。

「わっわーー!!?うわっ!??」

慌てる私の背中を思いっきり押すご主人様。
バランスを崩した私は、そのまま勇者に突撃します。

「危ないっ」

勇者が私を支えようと、王子から離れた瞬間、聞きなれたご主人様の呪文の詠唱が聞こえま
した。

「はぁ!?ちょっと、ごしゅ……うううっあァあ、ガァアアァア!!!?」

メキメキゴキッと奇怪な音を立てて、女性だった体が奇妙に盛り上がっていきます。
気がつけば獣姿になって、勇者を思いっきり足蹴にしていました。

『う、うわぁ……』

そっと足をどけますが、勇者は地面に軽くめり込み、ぴくりとも動きます。

「ふぅ、完璧だ」

ご主人様が、一仕事終え、満たされたようなため息をつきます。

『ご主人様、なんてことを……』
「フン、お前が王子を助けろといったから助けてやったのだろうが。文句を言われる筋合いは
ないぞ」
『確かにそうですけど……』

王子は、ため息をつきながら起き上がると「助かったで、感謝する」とご主人様と私にお礼を言
います。

『フェリアちゃんが無事でよかったです!』

そういっても王子には伝わりません。

「……もしかして、さっきの女性もガルか?」

ご主人様は、「そうだ」と愛想のかけらもなく答えます。

「……なるほどな」

勇者と私を交互に見たあと、王子はにやりと端正な口元を歪め、ご主人様を見ます。

「さっきの話、乗った!」
「…………?」
「世界征服のことや!」

ご主人様は、不快そうに眉を潜めます。

「そう嫌そうな顔をするな。別に仲間に入れて欲しいとかやない。取引がしたいんや」
「取引だと?」
「そうや。アンタが世界征服を達成した暁には、クシァートはアンタに全面降伏する」
『ええ!?』

これには、さすがにご主人様も驚いたようです。

「……要求は何だ?」
「話しが早くてええなぁ」

王子は、まったく王子らしくない、まるで悪徳商人のような笑顔を浮かべます。

「クシァートの自治権が欲しい。もちろん、多少の税はそっちに納めるで。
 クシァートは、ガルアナ神を深く信仰する宗教大国や。敵に回したら、しつこいしうっとしい。
 そんで、苦労して手に入れたら入れたで、癖がある民ばっかりやから、治めるのめんどい
で?」
「なぜ急に取引を持ちかける?」

ご主人様が疑うのも仕方ありません。

「まぁ、隠しても仕方ないから言うけど、可能性の問題や。
 さっきまでは、世界征服できるなんて、笑われへん冗談くらいやった。
 でも、ウルをうまく扱えるんなら話は変わってくる」

ウルと言われ、未だにめり込んでいる勇者を見ます。

「ウルの能力は、めっちゃ仕える。それこそ手に入れたら、世界征服くらいできるんちゃうか?
と私は前から思ってたんや。でも、あいつは性格にかなり問題がある」
『そうですよね!?やっぱりおかしいですよね!』

こくこくこくと激しく同意する私の頭を、王子が優しくなでます。

「あいつは、めずらしく"本当の勇者"や」
『は?』

予想外の言葉に、ぽかんとします。しかし、王子はどこまでも真剣な表情です。

「あいつは、いつでも自分が正しいと思うことしかせん。
 それが例え王命であったとしても、嫌なことは断る。
 あいつはいつでも、子どもと女と老人、そして弱い者、正しい者の味方や。
 そんなん、ありえへん!現実の世界でそんなことするの無理や。
 ましてや、権力にめっちゃ近い勇者がやで?」

「……それを可能にしてしまえるくらい、勇者が強いということか」

「ああ、最強や。利用価値満載や、それをあんたは手に入れた。
 まぁ、手に入れるだけならけっこう、誰でもできるねんけどな。
 重要なのは、ウルを思い通りに操れることや。
 ずっとおかしいと思っててん、あのウルが魔道師相手に、てこずっているなんて。
 けど、分かった」

王子は真っ直ぐ私を見ます。

「罪な女やで」
『は?』
「まっそう言うわけで、保険や保険。世界制服できんかったら、それでええし、もし本当に世界
征服されてもても、クシァートは安泰。アンタは、面倒なことが一つ減る。めっちゃええと思わ
ん?」

ご主人様は、余り表情を変えずに「いいだろう」と答えました。

「おっし!じゃあ、紙、紙……誓約書作らんとなぁ」

急いで誓約書を作ろうとする王子の手を、ご主人様がきつく締め上げます。

「いって、何すんねん!?」
「……その誓約書は、エリア姫を通してから作っていただこうか」
「げっ」

王子は、心の底から嫌そうな顔をします。

「俺は、こういうことは不慣れなものでな。王族同士なら、話しやすかろう?」

ご主人様の凶悪な笑みを見て、王子は柄悪く舌打ちします。
しかし、ふっと笑うと、とても楽しそうに言いました。



「なんか、アンタら、ほんまに世界征服してしまいそうで、怖いなぁ」



ぜんぜん怖そうに見えませんが。

「お前もしようと思えばできる。例えば、使い魔をさらうとか……な」

ご主人様が、にやりと笑うと、王子は、手を伸ばし、私の太い首に回します。

「そうやな、できるな、今までいろんな人も物もみんな、利用できるもんはしてきたしな。
 でも……したくないねん」

王子は、気持ち良さそうに、ふわふわの毛に顔を埋めます。

「今まで友達なんておらんかった。でももし、友達ができたら、友達だけは絶対裏切らんって…
…ずっと決めててん」
『フェリアちゃん』

余りの嬉しさに、じわっと涙が滲みます。

「また、遊ぼうな」

そう言って、王子は、気絶している賢者を蹴り起こし、転移呪文でシクァートへ帰っていってしま
いました。契約書は後日、改めて作成しに来るそうです。
その場に、取り残されたのは、ご主人様と、私と、めり込んでいる勇者様。

『これ、どうしましょうか?』

恐々と勇者を指差すと、ご主人様はとても投げやりに答えます。

「……いちおう拾っとけ」
『はい!』

ご主人様は、こきこきと首を鳴らすと「疲れた……」と言いました。

「世の中は、とてつもなく広いな。今回は良い勉強になった」

突然愁傷なことを言い出したので、驚きを通り越して、しばし沈黙してしまいます。

『な、何を学んだのですか?』

あの、俺様万歳のご主人様が、この状況でいったい何を学んだのか、興味津々です。
ご主人様は、うーんと悩む仕草をした後、真面目な顔で教えてくれました。



「馬鹿とはさみは使い用」



『そ、それって……』

私は未だピクリとも動かない勇者を見て、なんともいえない気分になるのでした。





つづく





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