雨霧月 5日 雨

じとじとと霧のように細かい雨が降り続いています。
洗濯物は乾かないわ、塔のあちらこちらにカビが生えるわで、この時期はとても大変です。
そして、大変なのは、天気だけではありません。

「サクラちゃん!」

明るい掛け声に胃がズンと重くなります。
振り返ると、栗色の髪の青年がいます。
この湿気の中でも、元気に髪が跳ねているのは何故でしょうか?

「いやぁ、こんな天気がつづくと、掃除洗濯が大変だね」

そう言うと、洗濯籠を抱え、ふうとため息をつきます。
簡素な白いエプロンは清潔感たっぷりです。

「何、しているのですか?」

恐々と聞くと、にっこりと爽やかな笑顔が返ってきます。

「うん、洗濯」

私は、確認のためもう1度訪ねます。

「何をしているのですか、勇者様?」
「うん?だからお洗濯だよ。いやー君のご主人様に、住み着くなら、働き蟻のように死ぬまで働
き続けろ、さもないと殺すぞ!と言われちゃってねぇ。ははっ」

どっちも死んでいるではありませんか。ははっじゃありません。

「というか、ええ!?本当にここに住むのですか!?」
「えっ?もうひと月くらいここに住んでいるよ?ご飯も一緒に食べていたのに?
 気がつかなかったの?」

勇者様は、うっかりさんだなーとか言ってきます。
違うのです、もちろん、勇者が居座っていたことは知っています。
私が言いたいことはそういうことではなく。

「……帰れ」
「そうそう、そう言いたいって、あれ?」

言う前に言われてしまいました。
声の方を見ると、ご主人様が、頭を抱えています。
全身真っ黒の服の上に、忌々しげに頭を抱えている姿は、陰気臭さ炸裂です。

「何もしなくていいから、帰れ」

ご主人様は、勇者を睨み付けます。

「ええ?仕事したら置いてくれるんじゃ……?」
「……普通の勇者はしないだろうが!?ええい、今すぐ帰れ!」

どうやらご主人様は、勇者をあごで使って、気分を悪くさせたところで帰ってもらうつもりだった
ようです。しかし、エプロン姿の勇者はけろりとしています。

「勇者も仕事くらいするよー。
 特に、どこかの国に認めてもらうまでは、ぶっちゃけ皆さんの雑用要員だから。
 僕は、料理から溝掃除、迷子案内まで幅広くやっていたから、大丈夫!」

何が大丈夫なのでしょうか?勇者の笑顔が輝きます。

「……つ、疲れる」

ご主人様は、頭を抑えたまま、柱にもたれかかりました。
二人はまさに、正反対と言えるでしょう。それこそ、陰と陽。光と影。
性格が合わないのも、ご主人様が疲れるのも納得です。
この状況をどうしたものかと思っていると、ふわりと甘い香りがします。

「あら、皆さんここにいたのですか?」

そこに現れたのは、絶世の美女。
質素な使用人の格好をしていても、周囲の空気がキラキラして見えるほど麗しいです。

「お姫様ぁ♪」

駆け寄り、ぎゅっと抱きつくと、「あらあら」と言いながら、頭を撫でてくれます。
ご主人様は、もう一度ため息をつくと、お姫様に話しかけます。

「お前も帰らないつもりか?」
「ええ、魔道師様は、確かあの時"好きにするがいい、各自解散"とおっしゃいましたわ。
 ですから、私は解散したのち、自分の意思でここにいるのです。ご不満ですか?」

にっこりと上品に微笑むお姫様に、眉をしかめるご主人様。

「……もう、勝手にしろ」
「はい、勝手にしますわ」

ふらふらとその場を去ろうとするご主人様。
お姫様の横を通りかかったとき、お姫様は小さな声で耳打ちします。

「私も勇者様も、必ず貴方の野望のお役に立ちますわよ」

ふっと鼻で笑ったご主人様は、馬鹿にしたわけではなく、「だろうな」と意味ありげににやりと笑
います。

「この際、能力だけを見て、私たちの人格は無視していたければ良いと思いますわ。
 ねぇ勇者様?」
「僕は、ここに置いてもらえれば何でもいいよ」

勇者はにっこりと私に微笑みかけます。
さすがに子ども姿のときは、普通の対応をしてくれるので、特殊な趣味の方ではないようです。
しかし、ここでご主人様にあきらめてもらう訳にはいきません。

「私は反対です!」

勇者には悪いですが、この人がいるとややこしいので、今すぐにでも帰っていただきたいです。

「あら、サクラちゃんは私たちがいたらお嫌かしら?」

お姫様が悲しそうな顔をします。

「うぇええ!?そ、そんなわけありません!お姫様にはずっとずっといて欲しいです!」
「そうですか、では、これからよろしくお願いしますね」
「よろしくサクラちゃん」

なぜか勇者も便乗して、挨拶をしてきます。

「ええ、いや、あのですね……」
「お嫌ですか?」
「う、うううっ」

お姫様は、どうしても勇者とワンセットでここに残る気のようです。
私は困って主の服の袖を引っ張ります。

「ご、ご主人様……」
「敵が悪かったと思ってあきらめろ」

先ほどまで暗い表情をしていたご主人様は、とっくにあきらめたのか、とてもクールな対応で
す。

「うっうううっ」

こうして、ご主人様とお姫様と勇者様、そして私の生活が始まったのです。




雨霧月 8日 朝 今日も雨

今日は、めずらしく朝から皆そろって朝食です。

なぜめずらしいのかというと、朝はご主人様が起きてこないことが多いからです。
大きめのテーブル上には、パンとバター、ジャムに、作りたてのスクランブルエッグが湯気を立
ててます。
私は目の前に置かれた野菜スープを口に運びました。

「! おいしいです!」

勇者がにっこり微笑みます。

「良かったー。ハバドの居酒屋で働いていたかいがあったよ」

勇者という職業は、有名になるまで派遣バイトをしているようなものなのだそうです。
あっちでコレやれ、こっちでコレしろと面倒ごとを言われまくるのだそうです。
スープがおいしいのはいいのですが、ちょっと私の仕事を取られた気分で複雑です。
ご主人様はというは、机の上に小さな人形を並べています。

「それは、何ですか?」

お姫様の疑問はごもっともで、知らない人が見ると、人形遊びをしている青年という、ちょっと人
に自慢できない光景になってしまいます。

「これは、俺の使い魔だ。情報収集を目的に契約している」

正確には、"魔"ではなく、精霊さんです。
各地の精霊さんと契約を交わし、人形を通して、ご主人さまに情報を伝達するような仕組みに
なっています。
ご主人様が、人形を軽く指ではじくと、ぽわぁと光が灯ります。

「ガラハドーガラハド?」
「ああ、そうだ」

こどものような声が聞こえてきます。

「最近、何かあったか?」
「雨にうたれて、お花がいっぱい咲いたー。でも、雨ふりすぎかもー。水妖は喜んでいるけど、
僕はいやー」
「ああ」

ご主人様は、どうでも良いような話をとくに嫌がる訳でもなく聞いています。

「白くて大きな大きな建物に住む人が、遠くに行ったー。
 お嫁さんもらうんだってー。ガラハドも貰う?」
「いらん」

「そうかー。でも、人間は、みんな喜んでるーお祭り気分で、わっしょいわっしょい。楽しいー」
「良かったな、また頼む」
「うん、ガラハド好きー」

妖精さんは、最後に耳を疑うような言葉を残して、光と共に声も聞こえなくなります。
ご主人様は、テーブルの上にあるパンを手にとりかじります。行儀が悪いです。

「シクァートの王族の誰かが、結婚するようだな」
「ええ!?今のそういう話でしたっけ!?」

最後の言葉に驚きすぎて、何だか良く分かりません。
変わりにお姫様が、軽く頷きます。

「白くて大きな建物は、シクァートのガルナア神殿のことなのですね」
「誰が結婚するのかな。そんな話は聞いてないけどなーお嫁さんって誰のことだろう?」

勇者もパンにバターとジャムをたっぷり塗りながら、首を捻ります。

「まぁ、他の奴に聞いたら分かるだろう」

ご主人様は、次々と人形を弾きます。
特に、変わった報告もなく、最後の一体になりました。

「こいつは、ウィルサル周辺の使い魔だ」

こつんと弾くと、赤い光が灯ります。

「おや、魔道師様か?」

今度はつやっぽい女性の声です。

「ああ」
「しばらく連絡なく、わらわは寂しかったぞ」
「すまん」

感情の篭っていない謝罪に、妖精さんはころころ笑います。

「お主は、その冷たさがよい。さぁ何を聞きたい?」
「いつもどおり、周辺情報をくれ。特に王族に動きはないか?」
「王族?そうじゃのう……ああ!ウィルサルの美しき花が一輪、摘み取られた。
 犯人は闇じゃ。一方的に慕っていた妖精どもが嘆いておる」
「花……?」
「そうじゃ、可憐で美しい黄金の花」

自然に私と勇者の視線は、金髪のお姫様に行き、真っ黒な服を着ているご主人様に移りま
す。

「……それの犯人はおそらく俺だ」

ご主人様も理解しているようで、憮然としたまま話します。

「ほっほっほっ知っておる。相変わらず面白いことをする奴じゃ。
 おおっ、そういえば、今、その花を照らしに白い光が来ておる。
 いったい何がどうなるのか、わらわは興味津々じゃ!ドロドロな昼ドラより楽しみじゃ」

はははっと豪快な笑い声を残して光は消えます。

「お姫様を照らしに白い光……ですか?」

見ると、お姫様が困ったような表情を浮かべています。

「シクァート王族の婚姻に、ウィルサルへの白い光の来訪……。話しが繋がりましたわ。
 私に会いに来ているのは、おそらくシクァートの白の賢者でしょう。
 もちろん、目的はウィルサル王族と婚姻関係を結ぶこと」
「少し前に、前の賢者が亡くなったから、今は、グダル先生だねぇ」

のんびりそう言う勇者は、まだジャムを塗っています。
パンの上にジャムがこんもり盛り上がっています。
それ、本当に食べる気ですか?味覚を疑いたくなります。

「あれ?賢者ってお嫁さん貰えたっけ?」

パクリとくらいつく勇者。うわ!?食べたっ!?

「いいえ、賢者様は妻帯いたしません。
 彼は、以前から王子とわたくしの婚約を結ぶために、ウィルサルに働きかけています」
「良い話ではないか?シクァートにコネが作れるチャンスだ」

ご主人様は、にやりとお姫様を見ます。

「ご主人様、何てこと言うのですか!?
 そういうの、政略結婚って言うのですよーお姫様が可哀想です!」
「そうですわ」

お姫様も、めずらしく口を尖らせます。

「わたくしも、王族に生まれたからには、恋愛結婚しようとは思っておりませんでしたが、
 政略結婚をするにしても、シクァートではいけませんわ。
 宗教を深く信仰する国と結びついても、今のウィルサルには何の益もありません。
 ベクアと緊張状態の今、ベクアに嫁ぎ、状態緩和を図るか、それができないのなら、せめて
婚姻話を立ち上げて時間を稼ぐ。
 それすら出来ないのなら、キカの武器商人に嫁ぐ方が、まだマシですわ」

お姫様はときどきとても難しいことを言うのですが、私には難しすぎてよく分かりません。
でも、ご主人様が「うーん、正論」とぼそりと呟いたので、きっと正しいことを言っているのでしょ
う。

「正式にお断りしたはずなのですが、なぜ今になって、また婚約を持ち出したのでしょう」
「ふーん……調べて見るか」

ご主人様は、人形を袋に入れます。
手についたジャムをぺろりと舐めながら、暢気に勇者が言いました。

「どっちにしろ、ウィルサルの王様も大変だねー。
 お姫様が攫われちゃった後に、お姫様をくださいって言われて……どうするんだろう?」

その言葉でお姫様がさっと目を伏せます。その瞳はどこか悲しそうです。

「勇者様、無神経です!」
「えっあっ!ご、ごめんなさい」

わたわたしながら、謝る姿にお姫様は力なく微笑みました。
私は、早く問題が解決して、お姫様が元気になってくれたらいいな、と思いました。




雨霧月 8日 夕方から晴れ

私は、勇者様とお姫様に見送られています。

「いってらっしゃーい!」
「無理をしては駄目よ、サクラちゃん」
「な、なぜ、私が……?」

隣のご主人様を見上げると、ダルそうに欠伸をしています。

「ご主人様、私は塔の掃除がありますので……」
「大丈夫!僕が変わりやっておくよ!」

チッ。
勇者がいらぬ気を回してくれます。

シクァートとウィルサルの関係を調べに行くことになったのですが、その面子がなぜか私とご主
人様です。

「お姫様はもちろん塔にいてもらうとして、どうして私なのですか!?
 勇者様の方が強いですよ、きっと!」
「馬鹿、勇者はウィルサル王の依頼に失敗しているんだぞ?
 うっかり見つかってみろ、ばっさりコロさ……」

はっ!とご主人様の顔が輝きます。

「お前、勇者と行って来い。うっかり、勇者が行方不明になっても構わないぞ!うっかりな!」
「……嫌な前ふりしないでください……」

厄介払いさせる気満々です。

「ご主人様と、勇者様の二人で行ってくださいよーもう!私はお姫様と一緒にいたいのです」
「……ああ、そうか、使い魔にさせなくても、俺が手をくだしてもいいのか」

ブツブツと真顔で呟くご主人様に怯えつつ、仕方がないので、そのまま二人で出発します。
残してきたお姫様が心配ですが、ご主人様に塔全体に防御魔法をかけていただいたので、塔
から出ない限り、お姫様には誰も指一本触れることはできません。


真っ赤な夕焼けに染まる森の中で、「ウィルサルに行くぞ」とご主人様は言いました。




霧雨月 9日 昼

ぜぃぜぃぜぃ。

荒い呼吸は未だに収まりそうにもありません。私はペタリと草むらに倒れました。

「……ん?もうウィルサル近辺に着いたか」

ご主人様は、私の背中からひょいと降ります。

『は、早く、人型に戻してくださいっっ!!』

うがぁあああ!という叫びが辺りに響きます。
こともあろうに、ご主人様は、私を獣型に戻して、ウィルサルまで運べといいました。

『鬼!悪魔っっ!!ご主人様の魔法で、ひゅんっていけるんじゃないのですか?』

ご主人様は、背中で爆睡していたようで、思いっきり寝起き顔です。あっよだれ。

「んー?いけるけど、警戒態勢が強化されているから、今は無理だ」
『アンタがお姫様をさらったせいでしょうがっっ!!?』

何事もなかったように、よだれを袖でふくご主人様。

『……私の背中についていませんよね?』
「何の話だ?」
『あっいえ……』

ご主人様は、少し悩んだ後、また私の背中に乗り出します。

「行くぞ」
『は?』
「面倒だから、このまま城に乗り込むぞ」
『はぁあ!?嫌ですよっっ死んじゃいますよ!?』

ご主人様を振り落とそうと、バサバサと鷹のような翼を羽ばたかせます。

「ちっ!使い魔のくせに主に歯向かうな!」
『ご主人様が死ぬ前に、私が死んでしまったら契約した意味がないじゃないですか!?
 絶対、嫌ですー』
「あーもう、お前の大切なお姫様のためなんだぞ!」

その言葉で、ぴたりと身体が固まります。

『あー…そうか、そうですね、そうですよね!?ご主人様、私頑張ります!』
「……扱いやすいのはいいが、微妙に腹が立つのは俺だけか?」
『さぁレッツゴー!』

私はご主人様の狭い心を見なかったことにしてあげて、元気に大空へ舞い上がります。

「不安定だな」
『ご主人様が邪魔だからです』

真実を言うと、ぺチンと頭を叩かれます。それと、いいかげん私も疲れております。
しばらく飛び続けると、眼下に、岩を積み上げた巨大な砦が見えました。
そのだいぶ奥には、絵本に出てくるような白くて立派なお城が見えます。

「おっ!?ちょっと待て、待て待て!!」

珍しく慌てたご主人様が、私が先に進むことを止めます。

『どうしたのですか?ご主人様?』

ご主人様は、手を額にかざし、遠くを見るように城の方を見ます。
「あー無理」と聞こえたのは、私の気のせいでしょうか?

「……帰るぞ」
『はぁあああ!!?落としますよ!?』

かなり本気で暴れると、ご主人様が私の背中に必死にへばりつきます。

「ちょっ馬鹿!アレだ、俺の予想以上に警護が厳しかったのだ」
『なんとかなるでしょうが!?ここまで来たのだから、なんとかしてくださいよ!!』

「出来ないことはないが、うーん、あの防壁の強力さから見て、俺が魔術で無理やりぶちやぶ
ろうとすると、大変なことになるぞ」
『え……?どうなるのですか?』

「軽くウィルサル城半壊、俺、しばらく寝たきり」
『まぁ、後半はどうでもいいとして、前半はかなり深刻ですね』

ポコッとさっきより強めに殴られます。

「となると、別の方法で情報収集するか、シクァートにでも行くしかないな。
 とりあえず、塔に帰るぞ」

その意見には、とても賛成なのですが……。

『まさか、このまま飛んで行けとか言いませんよね?』
「俺もそこまで鬼畜ではない」

ご主人様は、手を振りかざすとシュンという音と共に消えました。

『もう、初めから魔法使ってくださいよーー!!ってあれ?』

一人ウィルサル国上空に取り残された私。

『うわーーー!!鬼畜すぎるーーー!!?』

こうして私はご主人様と一時離れたのですが……。
一足先に帰ったご主人様は大変な目にあっていたようです。
まぁ正直、私を置いてゆくようなひどい人はどうなっても構わないのですが、後から無理やり聞
かされてしまったので、ここからの日記は、ご主人様から聞いた話の内容を書こうと思います。




一瞬にして、見慣れた塔の前に降り立つ。
とたんに、不穏な空気を感じた。何重にも重ねて張っていた結界の一部が壊れている。

「ちっ」

舌打ちし、扉を開けると見慣れた男が立ちふさがる。

「何の真似だ?勇者」

威圧するように睨み付けても、勇者はまったく動じない。それどころか、軽く笑みを浮かべてい
る。

「お帰りなさい、意外に早かったねー。でもちょっと遅かったね」

勇者は、右腕を軽く伸ばす、左拳を握り締め、腰を落とし構える。
その表情は、「サクラちゃーん」などと言っていたときのふざけた様子は微塵もない。

「演技か」

一月の間、よくまぁ演じられていたと関心したが、どうしても言いたいことがある。

「……お前と言う奴は……」

思わず頭を抱えてしまう。

「寝返るわ、裏切るわ、本当に勇者なのか?
 貴様が勇者という事実を、世界中の夢見る子ども達に謝るがいい」
「うっ!悪の魔道師に言われたくないなー」

勇者はさすがに気まずそうだが、攻撃態勢を解こうとはしない。

「僕は、僕の幸せのために生きるって決めたんだ!」
「お前が幸せに生きようが死のうが構わんが、俺の邪魔はするな」

右手を前に出すと、荒れ狂うような黒炎が勇者に襲い掛かる。

「魔法は効かないよ!」

勇者はひらりと避ける。勇者の視界が、俺からそれた瞬間、俺は勇者を追い越し走り去る。

「ええ!?戦わないの!?」
「馬鹿め、ザコの時間稼ぎにかまっている暇はない」

後方では、「何で分かったのー!?」という間抜けな声がする。
塔の結界が破れていた。
勇者一人なら、破る必要はないし、内から外へ出る分にはまったく問題ない。
あの結界は、外からの進入を防ぐためだけにある。
何が入ってきたかは分からないが、俺の結界を破ることのできる何かが、今この塔の中にいる
はずだ。

「まぁ、こういうときは大広場で遭遇というのが、演出的に一番いいだろう」

広間の扉を勢いよく開けると、やはり人がいた。傍には姫もいる。
姫と何やら話している男は、髪から衣類まで真っ白で、持っている荘厳な杖だけが銀色に輝い
ている。

「魔道師様」

姫が困ったようにこちらを見る。

「ほぉ、貴方がガラハドとかいう魔道師ですか」

男は、ゆったりとこちらに目をやると、丁寧に頭を下げる。腰まで届いている長く白い髪が、サ
ラサラと流れた。

「私は、クシァートのグダルと申します。以後、よしなに」
「勝手に侵入しておいて、よろしくも何もないだろう?」

手を振りかざし、にやりと笑うと、男もうっすら笑う。

「そう焦らずに。簡潔にご用件をいいますと、今すぐに姫を返していただきたい」
「ウィルサルにならまだしも、なぜクシァートに返さないといけないのだ」

返答の予想はおおよそついていたが、一様訪ねる。
すると、男の代わりに姫が、口を開いた。

「彼は、シクァート国ガルナア神殿の神官、白の賢者様ですわ。
 ご自身が取り入った王子と、軍事大国の姫を、政略結婚をさせようとしていたのに、わたくし
が急にいなくなったので、焦られたようです」
「身も蓋もない言い方をされますね」
「事実でしょう?」

姫は、にこりと笑って対応する。

「さて、この男、どうしてくれよう?」

楽しそうに笑ると、姫は黙って男から離れて距離をとる。

"どうぞ、ご自由に"

その笑顔は、そう訴えかけていた。





……お姫様はそんなこと言いませんよ、ご主人様??




霜雨月10日  朝

「良く、眠れた?」

そう言いながら、可愛らしい少女が私の頭をなでます。
少女は、ふわふわの金髪にピンクの大きなリボンをつけて、ニコニコ笑っています。

『あ、あの……』

当たり前ですが、獣化した私の声はご主人様以外の人には分かりません。
グルグルと唸っているであろう私を、少しも怖がらず少女はよしよしと頭をなでます。

「お前は見かけによらず、おとなしいねんなぁ」
『?』
「こんな生き物、見たことないわー。ご飯は、何を食べるんやろか?」

な、なんでしょうか?少女は可愛らしい外見には似合わない、微妙な訛りがあるようです。
少女は、怯えて部屋の端にへばりついている侍女に、「肉とか野菜とか適当に用意してもらっ
て」と頼みます。

侍女は、ガタガタ震えながら「フェリア様」と懇願するように少女の名前を呼びます。
すると少女は、キッと侍女を睨みつけました。

「ここではその名を呼ぶでない、アリアと呼べと言っているだろう?」

可愛らしい外見なのに、そう言う少女は、上に立つものの威厳を備えています。

『もしかして、この人、お姫様の妹さん?』

私がなぜそう思ったかというと、ここは、ウィルサル城の一室だからです。
ご主人様が、魔法を使って消え、私を置いていったせいで、ウィルサルの防衛魔法が働き、私
はあっさり捕らえられてしまいました。
その時、「次合った時は……思いっきりご主人様を殴ろう」と、私は誓いました。

私の姿を見て怯えるウィルサルの兵士たち。
暴れて逃げようかと思ったのですが、お姫様の国で暴れるのもどうだろうと思い、大人しくして
いました。
すると、この少女がテコテコ近づいてきて、「すみません、これ、私のですの」と笑顔でいい、今
に至ります。

少女は、私の首周りに抱きつきながら、ブツブツと文句を言います。

「まったく皆、使えないんやから。大人しく私の言うこと聞いとけっちゅーねん」

どうやらこの話し方が、素のようです。

「あーあー、あの馬鹿も、今頃どこで何してるんやろなー。だいたい予想がついてしまうところ
が、ほんま嫌やわ。ああっもう、そのうっとおしい毛、むしるぞ!」

その言葉で盛大にビクつくと、少女は慌てて「お前じゃない、お前じゃない」とフォローしてくれま
す。

「お前は、なんて名前なんやろうな」

少女は優しく微笑みます。そして、とても寂しそうに言いました。

「私と友達になってくれへん?」
『え?』

今、なんと!?

「私、友達おらんねん」

ははっと悲しそうに笑う少女を、私は嬉しさの余りベロリ舐めます。

『あっすみませんっ!でも、わ、私もお友達っていなくて……』

驚いた顔の少女に、慌てて謝罪しますが、伝わっていないことに気がつき、スリスリと少女に顔
を擦り付けます。

「ふふっ」

少女はくすぐったそうに微笑むと、私の鼻にキスをします。

「今日から、友達やで?」
『はい!』

私は元気良く吼えて答えました。
少女は、フェリアと名乗り、「でも、今はアリアやねん。これ、偽名な」と悪戯っぽい笑みを浮か
べて教えてくれました。





つづく





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