新緑月 3日 朝

今日もすこぶる良い天気です。快晴とはこういうことかというくらい清々しい朝です。
私は、朝ごはんの後片付けを終わらせた後、洗濯物に取り掛かります。
いつもなら、ご主人様の汚い衣類を適当に洗ったりしているのですが、今日はそれだけではあ
りません。

見慣れたご主人様の衣類の他に、洗ってもいいのか悩むような光沢のある、純白の下着もあ
ります。

私は、少し考えた後、二つを別の入れ物に入れました。

「なんとなくだけど、分けて洗おうっと……なんとなく」

微妙にひどいかもしれませんが、"なんとなく"ご主人様とお姫様の洗濯物を一緒にしてはいけ
ない気分です。

洗濯かごを二つ重ねて頭の上にのせながら、近くの川まで歩いて行くと、途中で声をかけられ
ました。
振り返ると、見知らぬ男の人が立っています。

「あれ? お洗濯? 小さいのにえらいねぇ」

男の人の顔に、にこっと爽やかな笑みが浮かびます。
こういう人を好青年というのでしょうか。陰気なご主人様とはかけ離れた人種です。
爽やか好青年は、何を思ったのか、傍まで来ると、洗濯を手伝ってくれました。

淡い栗色の髪が、寝癖なのか、わざとなのか分かりませんが、盛大にあっちこっちに跳ねてい
ます。衣服も旅装のようですが、余り見かけないものです。

一番不思議なことは、この魔物も出る深い森に一人でいるのに、見る限り武器を持っていない
ことでしょうか。
顔とは正反対に、不振人物極まりません。

「はい、終わり!」

じろじろ見ても、不快には思わないようで、にこりと微笑みかけてきます。

「君、こんなところで一人でいたら危ないよ。ここには、魔物が出るよ」

まぁ、その魔物は目の前にいたりするのですが。そこはあえてスルーです。

「お兄さんこそ、どうしてここにいるのですか?」

直球に聞くと、青年はなぜか頬を染め、目を逸らします。

「いやぁ、その、言いにくいんだけど、ちょっと……天使を探しに」
「……」

本当に言いにくいことを口にしてしまいました。
前言撤回。
この人、とても危ない人です。さっと洗濯物を受け取ると、ダッシュで逃げ出します。

「ああっ! ちょっと待って!
 ここらへんに、魔法使いの塔があるって聞いたんだけど、知らないかな!?」

危ないお兄さんは、そんなことを言いながら追いかけてきます。
魔物の私が本気で逃げているのに、巻くことができません。

「し、知りませんーーー!!!」

うわーうわーこの人、きっとご主人様関係者だと、直感的に感じます。
なぜなら、とてもヤバイからです。
こんな人が、塔に来て、お姫様に会ったりしたら大変です。

「こっちに来ても、天使なんていませんーー! むしろ、天使なんて存在しません!!」

天使と呼ばれている生き物は、人間の創造物で存在しません。
それに似た、背に羽根の生えた魔物だったらいますが、やつらは肉食でとても凶暴です。
なので、もしかして、その魔物のことを探して、頬を赤くしているのなら、このお兄さんは、よりい
っそう危険人物に格付けされます。

「いや、それが昨日会ったんだぁ。
 僕が空腹で倒れているところを、助けてくれて……ああっまるで彼女は天使のようだった…
…」

そこで私はふと、我に返ります。
そういえば、昨日台車で人を引いて、誤魔化すために、食料を分けてあげたような気がしま
す。そして、分けてあげた男が、こんな顔をしていたような気もしてきました。

「どちらにしろ、ついて来られたら困ります! ええい、天誅!」

掛け声と共に、持っていた洗濯かごを投げ飛ばし、お兄さんの顔面に当たって跳ね返って来た
ところを見事にキャッチ。
怪しいお兄さんは、くらっとよろめいて、その場に倒れました。

「ふーふー、姫様は私が守ります!」

今の私は無敵……のような気がします。




新緑月 3日 昼

昼食は、キノコスパゲティとサラダと肉団子スープです。

ご主人様が、「お前……けっこうまともに食事作れるんだな」と、軽く嫌味を飛ばしてきます。
確かに、今まではここまで真面目に作った記憶がありません。
お姫様は、相変わらずにこにこしながら料理を口に運びます。

「おいしいですわ。このように、楽しい気分の食事は生まれて初めてです」

お姫様は、本当に嬉しそうです。

「へ、へへっお姫様が喜んでくれると、私も嬉しいです」
「使い魔……ちゃん?」

急にお姫様に名前を呼ばれ、びくりとします。

「気になっていたのですが、それが、あなたのお名前ですか?」
「いいや、こいつは魔物だ。魔物の名前は、普通の人間が発音できない音が多い」

ご主人様の説明に、お姫様は興味津々です。

「ならば、なんてお呼びすれば良いのかしら?」
「使い魔でいい」

それは、例えるなら、救助する犬を「おい、救助犬!」と呼ぶことと同じなので、お姫様は困った
顔をします。

「城の魔道師たちは、皆、使い魔に名を与えていました」
「何か不満か?」

「不満なのではありません。
 ただ、名を定めるということは、相手の存在を肯定するということです。
 上に立つものとして、従の者にも、それなりの敬意を払うべきだと思います」

お姫様は、にこやかな笑顔のまま、なんだか難しいことを言います。

「ふーん……」

その様子を見て、ご主人様は意味ありげににやっと笑いました。
その笑顔はとても凶悪です。

「ご立派な発言だな。さすが、というべきか?」
「なんのことでしょうか?」

「俺は読書家でな。
 ベグアの世界図書館にはもちろんのこと、ウィルサルの王立図書館にもよく忍び込んだ。
 ウィルサルは軍事大国だから、策略や計略、兵法に関する本は腐るほどある」

お姫様は、笑顔のまま首をかしげています。

「その腐るほどある本を俺は腐るほど読んだ。そのうちに気がついたことがある。
 どの本の貸し出し者欄にも、"e"という文字があることに」

「まさかそれが、私だとでもおっしゃるのですか? エリアのeだとでも?
 わたくし、お恥ずかしながら、読書は苦手ですの」

ふふっと上品に笑うお姫様に、蛇のような視線を向けるご主人様。

「そうだよな、俺もそう思った。この本を見つけるまでは」

ご主人様が取り出した本には、『国の成り立ち』と金文字で書かれた重厚な本です。
それを見て、お姫様は笑うことをやめました。

「どこぞの国に、"とある女の鼻が後、3センチ低かったら……"という例え話があるが、アンタ
の場合、アンタが男でしかもウィルサルの第一王位継承者だったら、この世界は変わっていた
だろうな、確実に」

お姫様の顔から笑顔が消えました。
優しい笑顔が消えた顔は、美人特有の冷たさを感じさせます。

「お姫……さま?」

なんだか、無性に心配になり、声をかけると、お姫様は困ったように微笑んでくれました。

「使い魔に名がないのが不満なら、お前がつけてやればいい」
「姫様にお前って言うなーー!!」

ご主人様の相変わらず偉そうな態度がムカつきます。

「もう、ご主人様のせいで、お姫様が元気なくなっちゃったじゃないですか!?
イジメないでください!」
「いじめてなどいない」

「いじめてます! 良く分からないけど、言葉の暴力です!! この陰湿根暗魔道師!」
「お前のソレこそが言葉の暴力だろうが」

頭を思いっきりぐりぐりぐりされ、「あただだ!?」と、言いながら涙目で反論します。

「暴力反対―!!」
「これは暴力じゃない、躾だ!」

「うわー、今なんか、どこぞのエロ貴族親父が言ってそうな言葉を口にしましたね、ご主人様」
「お前への躾の、どこにエロ要素が存在するんだ、この馬鹿がっっ!!」

互いに1歩も引かぬ攻防戦の中、笑い声が聞こえます。

「え?」

振り返ると、お姫様が震えながら笑いを堪えています。

「ふふ……あははは」

その笑顔は、今までと違って本当に楽しそうで、見ているこちらまで嬉しくなります。

「ありがとう、使い魔ちゃん」
「は、はい!?」

何かしましたっけ、私?
お姫様は、そんな私に気がつかず、「貴女の名ですが、サクラ、なんてどうでしょうか?」と、
にこにこと私に笑顔を向けてくれます。

「さ……くら?」
「はい、遠い異国に咲く、淡いピンク色の美しい花だと聞いています。
 あなたの可愛らしい髪の色になぞらえてみました」
「サクラ……サクラ」

何度も呟いていると、お姫様は心配そうな顔をします。

「お嫌でしたか?他には……」

私は、慌ててお姫様の言葉を遮ります。

「いいえ、とても嬉しいです!」

嬉しくて嬉しく死んでしまいそうです!私に名前がつきました。
本当の名前は、ご主人様との契約のために、献上しているため、例え発音できたとしても使う
ことはできません。

「私、サクラです!」
「はい、サクラちゃん、今日の食事もとてもおいしかったですわ」

お姫様は、そうにっこりと優しく微笑みます。

「まぁ……なんでもかまわんが、桜のように散り急がないことだな」

ご主人様も褒めて(?)くれます。
姫様が来てくれてから、とても幸せです。
連れてきてくれたご主人様にも、ほんの少しだけ感謝しています。

ずっとこういう日が続けばいいのになぁと思いました。




新緑月 5日 朝

ピンポーン

まだ、朝もやが出ている中、奇怪な音で目が覚めます。

ピンポンピンポーン

「な、何の音ですか!?」

私は慌てて、ご主人様の部屋に駆け込むと、ご主人様はベットの上に座り放心状態です。

「ぎゃっ!? ご主人様!? 大丈夫ですか、ごしゅ……?」

近づいて見ていると、目は半目で、口からよだれがたれてます。
正直、怖いです。

「……こんなに朝早く来るとは……想定外だ……」

必死に起きようとしているのか、ベットから降りようとするものの、誘惑に負け、バタッと倒れこ
みます。

「……寝る」
「それはいいのですが、この音なんですか?」

ご主人様が、睡魔と葛藤していた間も、奇怪な音は止まりません。

「……それは、インターホンだ」
「いんたー? なんですか、それ??」

「来客が来たことを伝える……魔道具だ。
 もうそろそろ来るかと思い、つけた……。広間に通しとけ……」
「広間にですか? 誰が来るんですか?」

聞いても返事がありません。代わりに気持ちの良さそうな寝息が聞こえてきます。

「と、とにかくお客さんが来たってことですよね?」

それならば、お出迎えをしなければ……。
塔の1階まで降りて、扉を恐々と少し開けます。

「あれ?誰もいない……?」

そこには誰もいませんでした。思い切って、扉を全部開けると、急に世界が反転します。
気がつけば、背中が地面について、天井が見えます。
そして、見たくないものも視界に入ってきます。

「あ、あれ? 君は、ちょっと前に川であった小さい子?」

そこには、数日前に出会ってしまった、危険な爽やか好青年がいました。
好青年は、私を押し倒し、首を絞めるように右手を当てています。

「……く、苦しいです」
「わーーー!!? ごめんごめん!」

青年は、ばっと飛び跳ね、ささっと私を抱き起こします。

「怪我は無いかい? 本当にごめんねーここが、悪い魔法使いの塔って聞いてたから、てっき
りすごい魔物が、ウガーって、現れるかと思って」

すごいかはさておき……。
内容自体は間違っていないのですが、とりあえず、そこはスルーしておきます。

「お兄さん、何者ですか?」

人間より遥かに動体視力が優れている魔物の私が、ふいとつかれたとはいえ、動きを追うこと
ができませんでした。
じりじりと下がりながら、二人にくくった髪をほどき、いつでも戦闘態勢に入れるようにします。
お兄さんは、にっこり笑いました。

「怖がらなくていいよ。僕は勇者なんだ」

え?今、なんと?

「うん?僕は、お姫様を助けに来た勇者だよ」
「ほ、本物ですか!?」

とてもそうは見えません。
そう言うと、勇者は「良く言われるんだ」と苦笑いしながら、首にかけていた紋章を見せてくれま
す。

「盾と剣、ペガサスに、蛇まで!?」

それは、ウィルサルやシクァートなどの各国の王が、勇者と認めた人物に送る紋章でした。
それぞれ緻密な細工で、その国の紋章をかたどっています。

「ほ、本物の勇者様―――!!!? すごいー初めて見ました!
 しかも、3カ国から認められているなんて、すごすぎです!」
「ふふっ信じてくれて嬉しいなぁ」

勇者は良い子良い子と頭をなでてくれます。

「お姫様を助けに来てくださったんですよね!?」
「そうだよ」

「こっちです! お姫様を助けてあげてください!
 あっでも、ご主人様が、広間にどうぞと言っていたので、広間にご案内しますね」

そう言うと、勇者の顔が強張ります。

「ご、主人様?」
「はい、私、この塔の魔法使いの使い魔です! あっへへ、名前はサクラです」

へらっと笑うと、勇者の目に悲しそうな色が浮かびます。

「こ、こんなに小さな子どもをこき使っているなんて……酷い目に合わされていたに違いない。
 そういえば、前会った時も洗濯してたっけ。
 掃除洗濯、くわえて暴力……酷い、なんて酷いやつなんだ!? その、魔法使いはっっ!!」
「……は? 何を急に」

とたんに、ボロボロボロと勇者の目から涙がこぼれます。
そして、私の肩をがしりと掴むと「もう、大丈夫だからね」と鼻水をたらしながら言ってくれます。

「え、えーと……私は大丈夫なので、お姫様を……」
「自分より先に姫をだなんて、なんて心優しい少女なんだ!?僕は感動した!!」

ううっなんでしょうか、この人は。
……勇者選定時に、人格検査はないのでしょうか?
それとも、勇者という職業の方はみんなこんなに暑苦しい感じなのでしょうか。
そうだったとしたら、なんだか、とっても嫌なことを知ってしまった気分です。

「大丈夫だよ! お姫様も君も助けてあげるからね!」
「は、はぁ……」

「ところで、君、お姉さんいない?」
「は?」

なぜだか勇者様は盛大に照れています。

「いや、君に天使の面影が……髪の色とかも同じだし……」

ぞくぞくぞくっと悪寒が走ります。
正直、良い年こいて、"天使"とか言われると、そら寒くて仕方ないのは私だけですかっ!!?
というか、夜に出会ったのに、なんで髪の色まで覚えているんですか!?
この人、本当に人間なのでしょうか!?

「……い、いません……」
「そっか、残念。でも、いつかきっと会えるような気がする」

ええい、そこ!乙女のように頬を染めないでください!!

「……会ったらどうするんですか?」

恐々聞いてみると、勇者の顔はさらに赤くなります。
なぜか、壁に指でいじいじと"の"の字を書き始めたりします。

「いや、まぁそれは、とりあえず助けてくれたお礼を言って、食事にでも誘ってみたり?」
「……聞かないでください」

「え? 駄目かな? どうしたらいいと思う?」
「だから、聞かないでくださいってば! も、もう、この話しはいいです」

勇者は「食事は駄目かな?」とかブツブツいいながら、案内する私の後をついてきます。
広間までは、そう遠くないのに、色ボケ勇者のせいでかなりの時間がたってしまいました。

「あっご主人様を起こさなきゃ……」

そう言いながら、分厚い広間の扉をガーンと開けます。


「ふははははははっ待っていたぞ、勇者よ!」


パタリ

とりあえず、広間の扉を閉めます。


今、なぜか広間の奥に、ご主人様らしき人がいたような気がします。
しかも、その横に着飾ったお姫様が囚われていたような気がします。

「いやいや、ご主人様は、あんなに元気な声、出せませんから……」

そっと扉を開けると、やはり先ほどの光景が広がっています。
石造りの広間には、くすんだ赤色の分厚い絨毯が、まっすぐ伸びています。
その先には、全身を黒でおおい、長いマントをつけた、いかにも悪の魔道師という感じのご主
人様。

その右横には、魔法で作られた大きな鳥かごの様な檻の中に、お姫様が入っています。
お姫様は、攫われてきたときに、着ていたゴージャスなドレスに身を包み、不安げな表情です。

「ちょ……何しているんですか? ごしゅ」

その言葉は、勇者によって遮られます。

「魔道師ガラハド、ウィルサル国の姫を攫った罪により、この勇者ウルが貴様を倒す!」

先ほどまでの情けない姿はどこに行ったのか、勇者はきりっとした表情で、ご主人様を睨みつ
けます。

「危ないよ、君は下がってて」と、勇者は言います。

そして、タンッと勢いよく地面を蹴ると、一気にご主人様まで間合いをつめます。

「す、すごい!?」

すごいのは、それだけではありません。勇者は、流れるような動きで、ご主人様に殴りかかりま
す。

「ほう、無手か」

ご主人様は、攻撃無効化の魔法を張っているようで、勇者の拳は届きません。
見えない壁に遮られ、ゴォンという轟音が響きます。

「ええっちょっと皆さん、何をしているのですか!?」

私は呆然としながらも、お姫様の元へ駆け寄ります。

「大丈夫ですか!? お姫様??」

お姫様はにっこり微笑みます。
良かった、どこも怪我はしていないようです。

「これはいったい?」

檻の外から聞くと、お姫様は困った顔をしました。

「あの方は、私を助けに来てくれたようですね」
「あっはい、勇者様だって言ってました」

お姫様は、綺麗で白い指を、上品に口元へもっていきます。

「やはり、現在の情勢で、ウィルサルが軍隊を動かしては、冷戦状態にあるベグアを刺激し危
険ですわ。それ以前に、一国の姫が、名もなき魔道師にさらわれたと知れたら、王家の威厳に
かかわる醜聞。ここは、極秘に取り戻すほかありませんわ。
 それらを全て考慮した上で、あの時、わたくしを攫ったとしたら……」

お姫様は、戦っているご主人様の方を見つめます。

「面白いですわ」

お姫様は、楽しそうににこりと微笑みました。

「サクラちゃん、貴方のご主人様はどれくらい強いのかしら?」

ゴォンという音と共に、パリンと何かが割れる音がします。

「俺の防御魔法を破るとは、面白い!」

あはははと、ご主人様は上機嫌です。勇者は、「くっ」と顔をしかめました。

「ご主人様の強さ……ですか?」

と言われましても、どう答えたらいいのか分かりません。
ご主人様は、凶悪な笑みを浮かべると、右腕を水平に振りぬきます。
すると、ゴゥと黒い炎が現れて、まるで生き物のように勇者を飲み込もうとします。

「そんな!? 詠唱なしだなんてっっ」

勇者の驚愕する声が聞こえます。

「えーと、えーと、ご主人様の強い所……?」
「大丈夫ですわ、今、分かりましたわ」

見ると、お姫様もとても驚いています。
詠唱なしで魔法が使えるってそんなに驚くことでしょうか?
魔物はみんなそうなのですが、今の反応を見る限り、人間は違うようです。

「国を支えるトップクラスの魔道師と同列、と理解していいのかしら?
 でも、そのような高位の魔術師が、なぜ今まで知られていなかったの?」

呆然とお姫様は呟きます。

「あーー…ご主人様は、つい最近まで、"趣味"で魔道を極めようとしていましたから」
「趣味、ですか?」

「はい、なんというか……日がな本を読み、好きなだけ魔道の研究をして、怠惰な昼夜逆転生
活の上に、外出もほとんどしない、外に出たら出たで帰ってこない、引きこもりなのか、不良な
のか分からない人生まっしぐらでしたので」

しかも、無駄に態度がでかいという。
そんなある日、ご主人様の横暴さに耐えかねた私が、「このへっぽこ魔道師!魔道師を名乗る
なら、吟遊詩人の詩に歌われるくらいの伝説をつくってみろーー」なんてことを言ってものだか
ら、こんなことに……。

「……あれ? ということは、今の状況は全て私のせいですか!?」

お姫様は囚われ、目の前では、笑い声と共にチュドーンチュドーンという轟音と共に爆煙が上
がっています。
器用に炎を交わしていた勇者が、ご主人様の放った黒い炎に飲み込まれました。

「うわ!? ご主人様、やりすぎですよ!」

勇者は、ちょっと危ない人でしたが、死んでしまえばいいとまでは思えません。
慌てて、治癒魔法を使おうとすると、お姫様に止められてしまいます。
不安そうに見上げると、お姫様はにっこりと微笑みます。

「大丈夫ですわ。彼は、勇者ウルと名乗りました。わたくしの記憶に間違いがなければ、あの勇
者様は、前回の武闘大会の優勝者、ハーラント・ウルでしょう」
「でもでも、燃え盛っていますよ!?」

目の前では、炎に包まれた人影がそこから逃れるように跳躍します。
そして、降り立った勇者は、ところどころ煤がついているものの、無傷でした。

「ほう……?」

今度はご主人様と私が驚く番です。

「勇者ウルは、特異体質なのか、一切の魔法が効きません。
 サーベニア神の呪いを受けたとか、ガナルア神の加護を得ているなどという噂ですわ」

「ですから、治癒魔法も効きませんの」と、お姫様は教えてくれます。

「は、はぁ……実は、すごい方なんですね」
「そうですわね、対魔術師では、彼が負ける道理はありません。
 ……お父様も無い知恵を絞ったようですわね。いいえ、これはスーア爺の差し金かしら」

後半が小声でよく聞き取れませんでしたが、お姫様はとても物知りだなと思いました。

「でも、そうなると、ご主人様が危ないですよね!? どどどどど、どうしましょう!」
「サクラちゃん落ち着いてください」

「だだだって! だって、魔術が使えないご主人様なんて、ただの根暗でひ弱な引きこもりです
よ!? ニートですよ、ニートぉ!?」

私の心配する声が聞こえたのか、ご主人様はこちらをちらりと振り返り、「使い魔……お前、後
で覚えていろよ」とドスが利いた声を出します。

「大丈夫ですわ、貴方のご主人様を助ける方法はあります」
「え?」

お姫様は、すくっと立ち上がると、牢屋から出ます。

「この牢、偽者ですの。直前まで寝ていたから、用意が間に合わなかったのですって」

ふふっと軽やかに笑い、お姫様は私に「ひと時の夢をありがとうございます」と言いました。

「え?」

白く柔らかい手が、私の頬にふれます。

「サクラちゃん、あなたにお会いできてよかったですわ。
 生まれたときから姫という立場にあった私は、とても退屈でしたの。
 でも、ここに来てからの数日。姫以外の何かになれるような気がして、とても楽しかったです」

「ありがとうございます、そして、あなたの理想のお姫様じゃなくてすみません」と言い残し、お姫
様は勇者の下へ歩いていきます。

「エリア姫ですか?」

勇者の問いに、姫は頷きます。

「わたくしを城に連れて帰ってくださいませ」

ご主人様は、黙って呪文の詠唱を始めます。

「この方に呪文は効きませんわ、魔道師様」

それでも、ご主人様は詠唱をやめようとはしません。
普段、詠唱を唱えないご主人様が、詠唱を唱えるとき、それは最高位の魔法を発動させようと
しているとき、そして、もう一つ。

「うううぅううあああアアがガァああガガ!!!」

メキッメキッゴキッと異様な音を立てながら、私の身体が変異します。
背中がわれ、鷹のような翼が生え、身体は、肉食獣のように変わり、その全身を蛇の鱗が覆
います。目がするどくつりあがり、口が耳元まで避けます。

「きゃあ!?」

お姫様の悲鳴が聞こえます。

「ひ……くぁ……」

私が話そうとしても、とがった牙が邪魔をしてうまくいきません。
私は、おそらく血走っているであろう目で、ご主人様を睨みつけました。

『勝手に獣化させないでくださいよーー!
 お姫様が驚いているじゃないですか!?
 うわーん、この姿は見られたくなかったですーひどーーいぃぃぃい』

言葉は、ご主人様にしか届かず、はたから見ると、獣がほえているように聞こえるでしょう。

「き、キマイラ……!?」

勇者が嫌な俗名を呼びます。

「貴様、少女と魔物を融合させたのか!?」

蒼白になり激怒していますが、それはお門違いです。

『違いますー! 私、元からこういう魔物なんです!
 父と母が種族を超えた大恋愛をかましてくれたせいで、こんな特殊な姿に……うううっ。
 ご主人様と契約して、人型の魔物にしてもらってたんです』と、言っても伝わるはずもなく。

さらに、ご主人様の性格上、面倒くさがって説明するはずもなく。
誤解が誤解を呼び、とってもいい感じに、極悪非道の魔道師になったご主人様。
にやりと口端を上げると、なんだがもう魔王のようです。

「サクラ……ちゃん?」

お姫様が変わり果てた私を見て、ポロポロと涙を流します。

『あうー姫様ぁあ、泣かないでくださいぃ』

駆け寄ろうとすると、ご主人様が、狼のようにふさふさな私のしっぽをむんずと掴みます。

「馬鹿、勇者を倒せ!」
『ううっそれどころじゃありません! お姫様が、泣いてるんですよ!?』
「本当に馬鹿だな、お前は」

ご主人様は、ため息をつきつつ頭を抱えます。

「お前が勇者を倒さないと、お前が大好きなお姫様がいなくなるんだぞ!
 いいのか、もう二度と会えなくても!?」

その言葉は、私の胸にズガーンと響きます。

『い、嫌です!』
「馬鹿、じゃあ頑張れ!」

馬鹿馬鹿言うな、馬鹿!とちょっと思いましたが、今はそれどころではありません。

『が、頑張ります! えーい、勇者様、覚悟!!』
「この馬鹿!! 雑魚のやられ役みたいな台詞をはくなっっ!」

『ええっ? もう、どうしたらいいんですか? と、とりあえず、お姫様から離れてください!』

私は四つ足で、跳躍し距離をつめると、勇者を左手で張り倒します。
勇者は両手で頭をガードしたもの、勢いで壁に激突しました。
「うっぐっ」と苦しそうな声が聞こえます。

『わぁ!? 大丈夫ですか?』

この身体は、力加減が難しくて困ります。
よろっと立ち上がった勇者様は、私ではなくご主人様を睨み付けます。

「戻す方法は? 戻す方法はあるのか!?」

その声は、まるで哀願のようです。
ご主人様は、それを聞いて、ぽんっと手を鳴らしました。
その後に、凶悪な笑みが浮かびます。

『うわぁ……あれは、何か悪いことを思いついた時の顔です……絶対』

「ある」とご主人様は言いました。

「俺なら、いや俺だけがこいつを元に戻すことができる」
「だったら、戻してやってくれ! あんな少女が……守るべき子どもが……酷すぎる」

勇者は、本当に心から、赤の他人の私のことを悲しんでくれています。
多少思い込みが激しいものの、この人がなぜ勇者と呼ばれるのか、少し分かった気がします。

「いいだろう、ただし、お前が私に従属を誓え」
「なっ!?」

うっわー……。嘘八百もここまできたらすごいです。
むちゃくちゃな条件を付けられて、勇者も驚きを隠せません。
たぶん、この人は「お前の命と交換だ」とか言われるのを覚悟していたのだと思います。

「私に、悪に加担しろと?」

勇者の顔は、悲痛なまでに歪められています。

「それは……できない」
「はっ! 勇者と呼ばれても、しょせんわが身が可愛いか」

ご主人様の言葉を遮り、綺麗な声が広間に響きます。

「なぜですの!?」

それは、お姫様でした。

「貴方が従属さえすれば、サクラちゃんは助かりますのよ! いますぐ、従属なさい!」

それは、今までの穏やかな優しいお姫様の言葉ではありません。
人の上に立つために生まれてきた、王族という役目を負った気高い人。
そして、その発言は、ただの我侭です。でも、ただの我侭だからこそ、わたしはジンッと胸が熱
くなります。

『お姫様が……私のために怒ってくれている。ううううっご主人様、もうこんなの嫌ですぅ』

涙が溢れてきます。「うがああああ」と獣の叫びが、広間に響きます。
ご主人様は、「ちっ」と舌打ちをすると、先ほど唱えた呪文を逆読みし始めました。
しゅぅうと身体がしぼむ様に、私の身体から羽やら牙やら鱗やらが引いてゆきます。

「サクラちゃん!」

お姫様が駆け寄り、抱きしめてくれます。

「お姫様……すみません、私」

お姫様は、首を振り涙を浮かべ「良かったですわ」とだけ言ってくれます。

「うーん、うまくいかなかったな」

ご主人様は、腕を組みながら悩んでいます。

「もしや、俺は悪の魔道師には向いてないのか? 正義の魔道師を目指すべきなのか?
 どう思う、使い魔」

感動のシーンをまったく無視して、真剣な表情でそう聞いてくるご主人様に、私は遠い目をして
しまいます。

「いや、十分悪役でしたよ、ご主人様。もう、魔王も真っ青です」

わたしがそう言うと、「……そうか」とちょっと照れるご主人様。
いやいや、褒めてませんから。

「よし! 今日は、ここまでだ! 姫さん、勇者、もう好きにするがいい。各自解散!」

パンパンと乾いた手拍子がなります。

「え……?」
「まぁ」

これには、さすがのお二人も唖然としたようです。
私は仕方なく、ご主人様の我侭につき合わされた可哀想なお客人に頭を下げます。

「すみません、そういうことなので……。あっでもでもお姫様は帰って欲しくないです」

ぎゅっとしがみ付くと、とても良い匂いがし、そっと私の頭に手が添えられます。

「わたくし、帰りませんわ」

お姫様は、まだ呆然としている勇者に声をかけます。

「勇者様、先ほどのご無礼をお許しください。しかし、私は帰るつもりはありません。
 エリアは死んだと、王にお伝えください」
「……姫はそれでいいのですか?」

勇者の問いに、「わたくしは、それ"が"いいのです」と、はっきり答えます。

「そ、ですか」

ふふっと勇者は笑いました。

「なんだか、狐につままれたような気分ですが、姫が良いなら、きっとそれが一番いいのでしょ
うね」
「勇者様の名声を傷つけてしまい、申し訳ありません。
 父……ウィルサル国王が貴方に害をなす可能性もあります」

 お姫様の心配事はもっともです。"お姫様を助けられなかった勇者"は、いったいどうなってし
まうのでしょうか?今回の件は、ご主人様の暴走が原因なだけに、私も少し心配です。
 しかし、勇者は相変わらず暢気に答えました。

「いえいえ、ご心配なさらず。僕は、こう見えても三カ国の勇者なので、ウィルサル国王の権限
だけで罰することはできませんから」

勇者は「じゃあ、僕は帰りますね」といい、立ち上がろうとすると、ぐらりと傾きます。
どうやら、先ほど私が吹っ飛ばしたときに足を痛めたようです。
私は、「解除」と呟き、魔力を開放し、勇者に近づきました。
子どもの姿では治癒魔法が使えないので、大人の姿になるしかありません。

「勇者様、ごめんなさいです」

勇者の足に両手を当て、治癒魔法を使おうとして、「あっ効かないんですね」と慌てて、救急箱
をとりに行こうとします。
しかし、なぜか手をがっしりと捕まれ、動くことができません。

「勇者様?」

勇者はなぜか熱に浮かされたような顔でこちらを見ています。

「……天使」
「はぁ?」

勇者は、わたわたした後、はっとなり「あのっ以前は森で助けていただきありがとうございま
す!そのお礼に食事でもいかがですか!?」と顔を赤くしながら言います。

「あーえーと……」

今の流れをちゃんとこの人は見ていたのでしょうか?
ここは、「うあ! 子どもが大人に!? 君は魔物だったのか!?」とかいう、驚きは無いので
しょうか。

「……私、先ほどの子どもなんですけど?」
「あっはい、驚きました! まさか、あの子が、貴女だなんて!」

手を離してください、手を。

「えーと、あの、私、魔物なんですけど?」

とがった耳と黒い目をアピールして見せてあげます。

「ええっ!? そうなんですか? あっ本当だ」

ようやく分かってくれたようです。
魔物と勇者、敵対しても、仲良しなんて有り得ません。

「ええー魔物の方って何が好きなんだろう……。何が食べたいですか?」

こ、この人……。ある意味、本当にすごい方だなと思いました。
私が呆然としていると、ご主人様の声が割って入ります。

「おい、そこ、そうだ、お前だお前。お前に使い魔はやらん。さっさと帰れ」

ご主人様が、気持ち悪がって、勇者を追い払おうとします。

「ええっそんなぁ、待ってください、お父さん!」
「……だれが、お父さんだ? ……俺か? 俺のことなのかっっ!?」

勇者は、ハッとなり、ご主人様に膝をつきます。

「従属します! ここに置いてください!」
「はぁ!? 貴様などいらん!」
「ええっ!? さっきは、従属しろって言ってたじゃないですか!
 ここに置いてください、おと……いや、魔道師様」

「お前には勇者としてのプライドはないのか!? ええい、傍によるなっっ!?」
「勇者でも、時には自分の幸せを追いかけたくなるんです!」

ご主人様にすがり付く勇者、それを足蹴にする自称悪の魔道師。

「世も末ですね……」

私が言うと、お姫様が隣で楽しそうに笑います。

「大魔道師ガラハドに、勇者ウルに、魔族のサクラちゃん、そして、ウィルサルのエリア姫。
 魔道師様の夢に一歩近づきましたわね」
「え? 何です?」

お姫様は、にっこりといたずらっぽく微笑みます。



「世界・征服、ですわ」



ぱちんとウィンクしたお姫様はとても可愛らしくて、きゅんとしてしまいます。

……でも、その言葉には少しも笑えませんでした……。




つづく




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