ある朝、ふと思いついた。そのことを伝えると、王は首をかしげる。

「咲は、皆に謝りたいの?」
「はい」

 咲がこの国に来てからというもの、たくさんの人に迷惑をかけてしまった。
そんな人達に謝りたいし、何かお詫びをしたいが、どうしたらいいのか分からない。
それを王に相談すると翡翠色の瞳に困惑が浮かぶ。

「どうして?」
「どうしてって、みんなに迷惑をかけてしまったから……。もちろん王様にもですけど」

 長く白い指が咲の黒髪をすき、頬に優しくふれる。まるで猫をなでるような仕草だったが、慣
れてしまえば心地良い。

「私は迷惑なんてかけられていないよ。咲が傍にいてくれて、心の底から嬉しい」

 王は少しだけ目を閉じた後、躊躇いがちに「私は咲に迷惑をかけてる?」と聞いてくる。

「そんな!」

 慌てて首をふると、王は子どものように無邪気な笑顔が浮かべる。

「良かった。咲もね、誰にも謝る必要なんてないよ」
「でも……」

 うつむくと、王は両手で優しく咲の頬を包み込む。

「もし私だったら、咲に謝って欲しくないよ。謝られるより、笑って欲しい」

 温かい笑顔につられて、頬は緩むが心は晴れない。
公務に向かう王を笑顔で見送った後に、思わずため息がもれる。

(謝れないなら、私はどうしたらいいのかな)

 たった一人では答えは見つかりそうにもない。困った時に一番に思い浮かぶ頼りになる人の
部屋に向かう。ノックをしてから扉を開けると、賢者は相変わらず本に埋もれていた。

 咲がギインに誘拐された一件以来、賢者はフードで顔を隠すことをやめている。
自分と同じ黒髪を見ると、なぜかホッとしてしまう。

「賢者さん」

 声をかけると、不機嫌そうに分厚い本から顔をあげる。

「今日は早いな」

 冷たい響きの声だったが、その後に「朝食は済ませたのか?」と続いたので口元が緩む。

「さっき部屋で王様と」
「なら、かまわんが」

 賢者のにこりともしない顔は「で? 用件はなんだ?」と無言で聞いてくる。先ほど王に話した
話を伝えると、賢者は大きくため息をついた。

「侘びなどいらん。皆、仕事だ。それぞれ、国から仕事に見合った対価を得ている」
「そうですけど……」

 それとこれとはまた違うような気がする。

(私は賢者さんにも謝りたい、けど)

 侘びなどいらんと言うからには、謝ると怒られてしまいそうだ。

「じゃあ、お詫びにお菓子でも……」
「不必要だと思うがな。まぁ、黒獣に割り当てられた経費はお前の金だ。好きに使えばいい」
「う」

 そういえば、国の税金で養ってもらっている身だった。無駄使いは出来るだけしたくない。
 そうなると、いったい何が出来るのだろう。悩む咲を見て、賢者の黒い瞳は呆れている。

「まったく、お前は……。暇だからいらぬことを思いつくのだ」

 賢者は机の引き出しを開けると、携帯電話を取り出す。

「カナにかけろ」
「え、でも……」

 あの誘拐事件以来、カナとギインに会っていない。とても会いたい。そう思うが、会っていいの
か分からない。そんな咲の心を見透かしたように、賢者は言う。

「お前が遠慮することはない。
 お前の機転で、あの誘拐事件はなかったことになっているのだからな」
「そうですけど……。本当に、遊びに行っていいんですか?」

 遠慮がちに受け取ろうとすると、賢者はサッと携帯電話を持つ手を引く。

「遊ぶのはいいが城からは出るな。今はややこしい時期だからな」
「え? じゃあ、どうしたらいいんですか?」
「カナに来てもらえ」

 「なるほど」と納得してから携帯電話を受け取る。長いコールの後、電話に出たのはギイン
だ。

『これはこれは咲様。先日は大変お世話になりました』

 少しも悪びれない穏やかな声が、とてもギインらしくて笑ってしまう。

「カナちゃんは側にいますか?」

 電話に出たカナを遊びに誘うと元気な返事が返ってくる。

『行く行く! すぐ行く!!』

 言葉の通り、カナはすぐに来た。港から走って来たようで、咲の部屋にたどり着いたカナは、
荒い呼吸を繰り返している。

「カナちゃん、大丈夫!?」

 無言でコクコクと頷くが、あまり大丈夫そうではない。

「待っててね!」

 部屋の隅に置かれている水差しから水を入れ手渡すと、カナは勢いよく飲み干す。そして、
飲みきってすぐに、カナは咲に飛びついた。驚く咲を、小さく細い腕が力一杯抱きしめる。

「咲ちゃん、ごめん!」

 そう叫んだカナの目には涙が浮かんでいる。

「私が咲ちゃんを誘拐したのに! 私らを守るために、咲ちゃんが悪者に」

 桃色の瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。

「え? 違うよ、カナちゃんは何も悪くないよ。あの時の私が何もしようとしなかったから……」

 だから、カナは咲を助けようとしてくれた。

「カナちゃんが謝る必要はないよ」
「でも!でも!」

 泣きじゃくるカナの背中に腕をまわし、そっと抱きしめる。

「カナちゃんは謝らなくていいんだよ。本当だよ」

 そう伝えても、カナの涙は止まらない。

「でも、咲ちゃん……」

 真っ赤になってしまった眼を擦りながら、咲を躊躇いがちに見上げる。

(カナちゃんは悪くない)

 そう心の中で呟くと、なんとなく、「謝らなくていいよ」という今朝の王の気持ちが分かった。も
ちろん、どうしても謝りたい今のカナの気持ちも分かる。

(こういう時ってどうしたらいいのかな)

 戸惑っていると、カナは慌てて両手で涙を拭いた。そして、まだ赤いままの目でにっこりと笑
う。

「咲ちゃん、ごめんな。許してくれて、ありがとう」

 "ありがとう"

 その言葉が、今までもやもやしていた咲の心にストンと落ちていく。

(そっか、"ありがとう"だ)

 相手が謝罪を求めていないのなら、迷惑をかけても側にいてくれる人達に感謝の言葉を伝え
たい。

「すごい! やっぱり、カナちゃんはすごい!」

 きょとんとするカナの両手をつかんで上下に振る。

「カナちゃん、ありがとう!私、この国でカナちゃんに出会えてすごく嬉しいの。これからもずっと
友達でいてね」

 素直な気持ちを伝えると、カナの顔に満面の笑みが浮かぶ。

「うん! 私も咲ちゃんが大好きや」

 頬が赤くなった二人は照れ笑いを浮かべながら、ぎゅっと手を握る。

「でも、カナは他の人にも謝らなあかん。おっちゃん達、怒ってるやろうなぁ」

 カナは目を伏せその声は震えている。カナの言う"おっちゃん"とは、黒獣の警備に当たって
いる谷口と藤井のことだ。

「ここに来る前にも黒いスーツの人、見かけてん。でも、怖くて声かけれんかった」

 しょんぼりと肩を落とすカナの手をぎゅっと握る。力になってあげたい。友達の笑顔を見るた
めに、どうしたらいいのか必死に考える。

「とりあえず、会いに行ってみる?」
「でも……」

 うつむいてしまったカナの肩に優しく手を置く。

「嫌だよね。すごく怖いよね。私もね、瑞垣さんと谷口さんに助けてもらったのに、全部なかった
ことにしちゃったから……みんな、怒ってるかもしれない」

 瑞垣や谷口、明るい藤井がどんな表情を見せるのか分からない。もしかしたら、ひどいことを
言われるかもしれない。

「怖いけど、でもみんなと仲直りしたいよね」

 顔をあげたカナは、躊躇いがちに頷く。

「だって、おっちゃんら、面白いねんもん」
「じゃあ、少しだけ、二人で頑張ってみよっか」
「うん!」

 カナの元気な返事に、咲自身も勇気をもらう。

(ここに来る前の私だったら、こんな風に思えたかな?)

 何がどうとは言えないけど、この世界に来てから、ほんの少しだけ咲の中で何かが変わった
気がする。




 覚悟を決めてカナと二人で立ち上がる。廊下へと続く扉の前で大きく深呼吸をすると、いきな
り扉が開いた。
鈍い音がして、咲の頭に衝撃が走る。

「咲ちゃん!」

 痛くてしゃがみ込むと、側で「大丈夫!?」というカナの声の他に、悲鳴に近い男の声がす
る。

「な、ななな、何やってんですか、部長!!」
「あ、わりぃ。咲、大丈夫かぁ?」

 涙目になりながら声の主を見上げると、いつも通りの瑞垣と、青い顔をした藤井が立ってい
る。

「国の宝! 国の宝の黒獣になんてことを! もし怪我でもしたら!」
「ああん? ったく、大げさだっつーの! おう、咲、顔をあげろ」

 言われるままに顔を上げると、男二人が覗き込む。

「……うん、まぁ大丈夫だ」

 そう言いながら視線をそらす瑞垣に、涙ぐむ藤井。

「ここ! 赤く、赤くなってんじゃないですか! どうすんですか、部長ぉお!!」

 部屋にある姿見で確認すると、藤井の言う通り額が少し赤くなっている。

「咲ちゃん、大丈夫?」

 心配するカナに笑顔を返す。

「うん、ちょっと痛いけど大丈夫」
「そうそう、血が出てねぇから大丈夫だって!」

 瑞垣の言葉にカナが反応する。

「あんたんとこの丈夫な黒縁メガネ連中と一緒にせんといて! 女の子の顔に傷がついたらど
うすんねん!」
「お、出たな! チビ海賊」

 瑞垣の言葉に、カナは言葉を詰まらせる。いつもなら「海賊ちゃうわ、商人や!」と言い返す
ところだが、今となってはそれも出来ない。

「どうした? 今日は元気がねぇな」

 そう言いながら藤井と顔を見合わせる瑞垣。謝るなら今だろう。深呼吸をすると、カナと手を
繋ぎ、二人そろって頭を下げる。

「今回は、その、いろいろすみませんでした!」

 咲の後に、カナも続ける。

「謝っても許されることじゃないけど……ごめんな」
「とりあえず、二人とも顔をあげろ」

 見ると瑞垣が腕を組んでこちらを睨んでいる。

(怒られる!)

 そう思った瞬間、大きな手が二人の頭の上にあった。

「だれもお前らを怒っちゃいねーよ」
「でも、私の我がままで……」

 咲の言葉を遮るように、瑞垣の手は乱暴に二人の頭をなでる。

「事件の発端はこの国の歪みだ。そして、この結末は国の意思だ。お前達が悪いんじゃねぇ。
 いろんなやつらの思惑が動いてやがる。まぁ、何が起こっても政総部の仕事は変わらねぇけ
どな」

 瑞垣の言っていることを理解は出来ないが、狼のような金色の瞳はどことなく優しい。

(まただ)

 申し訳ない気持ちで謝っても、謝る必要がないと言われてしまう。心の底でもやもやした気持
ちと一緒に、先ほどのカナの言葉を思い出す。

「えっと、じゃあ、ありがとうございました」

 驚く瑞垣に、もう一度頭を下げる。

「助けてくれて、ありがとうございました」

「まぁ、それが俺たちの仕事だからな。礼なんて言わなくていいんだよ! なぁ藤井?」 

 そういう瑞垣は、まんざらでもなさそうだ。咲は戸惑う藤井に向かってもう一度お礼を言う。

「藤井さんも、ありがとうございました」
「え? えーと、ああ、いえ……その」

 盛大に顔を赤くした藤井は、「なんかこう、黒獣の咲さんに改まってお礼を言われると不思議
な気分です」と照れている。

「よーしよーし! じゃあ、お子さま達がこれ以上気に病まないためにも、仲直りの握手でもす
っか!」

 そういうと瑞垣は、咲とカナの手を両手で握る。

「ほれ、藤井も!」

 藤井は躊躇いながらも手を重ねると、人好きしそうな明るい笑顔を浮かべる。

「はいはい、仲直り仲直り」

 適当に四人の手を上下に振った後、瑞垣は「もう気にすんじゃねーぞ」と念を押す。

「でも、まだ谷口さんに謝ってないですし……」
「大丈夫ですよ! 谷口課長も自分達と同じ意見ですから」

「いや、待て!」 

 藤井の言葉を遮った瑞垣は、玩具を見つけた子どものような目をしている。

「今の時間帯なら谷口は王城にいる。よし、今から謝りに行くぞ! あいつ真面目だから、咲に
謝られてどんな反応するか見ものだな!」

 悪そうな笑みを浮かべる瑞垣に、藤井はため息をつく。

「谷口課長に嫌がらせしようと思うのは、部長くらいなもんですよ。さぁ、咲さん、行きましょう
か。もちろん、カナちゃんも一緒に」

 藤井に声をかけられて、カナは嬉しそうに微笑んでいる。

「カナちゃん。私たち、頑張ってみて良かったね」
「うん!」

 今回はたまたまかもしれない。頑張ってもいつも望む結果が待っているとは限らない。それで
も、頑張ってみないと得られない結果は確かにある。

(谷口さんにも許してもらえるかな?)



つづく