燕は食事中も終止穏やかに話を聞き、愛らしく笑っていた。
その途中で、客人の荷厳が加わり、よりいっそう話が盛り上がる。

「それで、儀凱様ったら自軍の兵士を半分も倒してしまって。数日間、自
軍の部下が近づかなかったんですよ」
「いや、あれは初めての訓練で、手加減の仕方が分からなかったのです
よ!」

 儀凱は、赤面しつつ講義するも、勢いに乗った垣の暴露話は止まりそう
もない。

「儀凱様は本当にお強いのですね」

 燕は感心しきっている。

「見えないでしょう? 見かけは内政向きですよね」

 それは優男と言いたいのだろうか。

(これでも自分ではかなり鍛えているつもりなのに……)

 思わず自身の腕を見てしまう。

「強い上にこの容姿。さらに頭もいいんですから、そりゃ恨みも買いますよ
ね」

 少し飲ませた酒がいけなかったか、垣の話は止まらない。

「儀凱様はこんなに立派な方なのに、あの砦の連中は……」
「垣……」

 垣は悔しそうに拳を握る。垣がここまで思い詰めてとは知らなかった。

「今の総将軍の徴郭様なんて、ただ血筋が良いだけじゃないですか。そ
れを!」
「垣!!」

 今度は強く呼びかけそれ以上続けないようにたしなめる。「すみません」
そう言うと食器を下げ奥に消える。

「お二人とも、今の話は忘れてください」

 一般人に砦内部の事情を漏らすなどあってはならなかった。

「儀凱様……」

 燕は何か言いたそうに顔をしかめる。

「燕?」

 呼びかけると苦しそうに首を振る。辺りはもう薄暗くなっている。いいか
げん砦に戻らなければならない。

「大丈夫ですか、燕? 今日はここに泊まるといいですよ」

 今から村に帰るのは困難だろう。

「明日にでも村まで送ります。最近は物騒ですから」

 燕は力なく微笑んだ。

「垣、燕をよろしくお願いしますね。荷厳殿、今日はとても楽しかったです」

 そう言って席を立ち、儀凱は砦へと帰った。




 儀凱が去った室内で、取り残された二人は、同時にため息をつく。

「はぁ……び、びっくりした」

 燕の声は、部屋の奥にいる垣を気遣ってか、とても小さい。

「それは、こっちの台詞だよ、香ちゃん」

 そう呼びかけると、少女は困ったように笑う。

 世話になっている儀凱に招待され、家に行くと、やけに見覚えのある顔
があった。当初、他人の空似とも思ったが、振り返った少女が、荷厳を見
て凍りついたので確信した。

 その少女、香が、耳元で囁くように話しかけてくる。

「荷厳さん、こんなところで何しているんですか?」
「それこそ、こっちの台詞だよ! 香ちゃんは、ここで何しているの? も
しかして、光凌様にイジメられて、逃げてきたとか?」

 香は少し遠い目をした後、「近いものはありますね。……正確には違い
ますが」と言う。

(相変わらず苦労してんだな……)

 元光凌の配下ということもあり、つい同情してしまう。

「助けてあげようか? おじさんと一緒に来る?」

 そう言うと、香はものすごく難しい顔をした。目を瞑り頭を抱え、うんうん
と唸る。そして、悩んだ結果「今は無理です」と答えた。

(今は……か)

 なんとなくだが、明日でも明後日でも十年後でも、香は着いて来ない気
がする。時間が立てばたつほど、拠りひとはこの世界に深く巻き込まれて
行ってしまう。

 それこそ、地位も名誉も全て手に入れ、この世界に君臨する白至のよう
に。

「ま、本当に困ったらいつでもきなよ。今は、儀凱さんの家にお邪魔してい
るから。そこで、世界の成り立ちを調べている」
「世界の成り立ち……?」

 香はきょとんと不思議そうな顔をする。

「気にならない? 何故、俺達がここにいるのか?」
「気になります」 

「だよね? 俺と、咲也……あっ咲也ってのは、俺と一緒にこの世界に来
た後輩のことね。
 俺達は、それを調べて、紛れ込んだ原因と帰る方法を探しているんだ」
「……帰る?」

 香が余りに呆然としているので、「帰りたくないの?」と聞く。

「い、いえ、帰りたいですけど、その、それどころじゃなく忙しかったので」

 自分自身でも驚いているようで「忘れていました」と答える。

(重症だな)

 ぞくっと背筋に冷たいものが走る。香のこの世界への巻き込まれた方
は、かなりひどいようだ。

(でも、咲也もそうだったな)

 まるで急な坂を転がり落ちるかのように、次から次へと問題が起こり、
それを対処していくたびに名声が上がる。そして、別に望んでいないの
に、権力に近づいていってしまう。
 傍から見ていると、それはとても良く出来たゲームのようだ。

「香ちゃんは?」

 ここで何をしているの?と聞くと、また難しい顔をする。

「あの、事情があって詳しくは言えないのですが、ここは危険です。
 できるだけ早く逃げてください」

 何の説明にもなっていないが、真剣なその言葉で、荷厳にも分かったこ
とがある。

(これは、戦が近いな)

 急がなければと立ち上がると、垣が茶器を持って現れた。

「あれ? 荷厳様は、もう行かれてしまうのですか?」
「ああ、すまない」

(早く調べて王都に戻らないと、戦に巻き込まれる)

 光州が珪州を攻めることは確実だ。むしろ今攻めないと、光州の敗北
が決定する。

 王都から光州へ向けての軍はもう出立している。
その軍が辿り付く前に珪州に攻め込まないと、王都と珪州に挟み撃ちに
されてしまうからだ。

 まだ幼さが残る香を見て、助けてあげたいと思うが、無理やり連れて行
く訳にもいかない。

 垣に礼を言い、書院へ戻ると、今までの資料をまとめ始める。

(やはり、この世界は、中華ファンタジーとみていい)

 しかし、ファンタジーと言っても、怪しい術が仕える人や神様がいるわけ
ではないし、人外の力を与えるアイテムがある訳でもない。
 仙人はいるが、それは役職の1つであって、白い髭を生やし、山の霧だ
けを食べて生きていけるような人たちではない。それでも、ここは現代日
本でも、過去の中国でもないことは確かなので、ファンタジー世界とする。

 では、なぜ“中華”と思うかといえば、この世界の創世神話が、なぜか中
国神話と重なる部分があるからだ。あと、建物や、衣類などが、どうもそ
れっぽい。

 神話については、中国史の講義で習ったことは確かなのだが、何分手
元に資料がないために、確定することができない。

「くそっ! 大学の図書館を利用できればっっ!」

 短い黒髪をガリガリとかく。帰れないから、この世界のことを調べている
ということは分かっていても、どうしても矛盾した考えが浮かぶ。

 現段階では、全てにおいて確定はできないが、現在の荷厳の仮定は
“中華ファンタジーなこの世界では、二人の拠りひとが戦っている”だ。
その二人を、中華らしく「陰の者」と「陽の者」と名づける。

 陽の者は、先にこの世界にいる者とし、陰の者は、後から来て陽の者と
対立する存在とする仮定する。

 今は、その“二人の拠りひとが戦っている”ということを実証するため
に、白至が倒した珪将軍が拠りひとである証拠が欲しい。

(しかし、息子さんに、貴方の父親は異世界から来た人ですよね? はっ
はっはっ……とは、さすがに俺も聞けない。将軍自身が素性を隠していた
可能性もあるしな)

 それをきっかけに儀凱に警戒されて、追い出されてしまう危険性のほう
が高い。

「珪将軍が残した日記か、それらしい何かがあればいいが……」

 今のところはまだ見つかっていない。荷厳は、頭をかきむしった後に、
ダンッと机を叩く。

「焦っても仕方がない!」

 そう言ったきり、分厚い本をただひたすら捲っていく。それから、数日間
荷厳は、本の海の中へ潜り込んだ。







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