鏡のように磨かれた、美しい石畳の廊下を歩く。
男が、身にまとっている衣装は、青と白を基調とし一見質素に見えるが、
そこにはとても手の込んだ刺繍が入れられている。歩くたびに、サラサラ
と衣類は流れ、また、男の長い黒髪もサラサラと流れてゆく。
「何を企んでいるのですかな?」
顔中に深いしわを刻んだ老人が、穏やかに青年の歩調にあわせて歩
く。
「此度の件、ご説明いただきたい」
いかにも武将です。というような、壮年の男も静かにその後に続く。
見上げるほどの大きな扉の前にたどり着くと、男は扉前にいた兵士に人
払いを命じた。そして、優雅に振り返ると微笑を浮かべ会釈する。
「本日は、急ぎの用があります故、これにて失礼致します。
方々のご質問、明朝朝議にて白皇(はくこう)の御前で語り合いましょう」
老人はほぉほぉと笑い、武将は苦虫を潰したような顔になる。
一行が遠く離れたことを確認すると、男は扉を開き、中へ入っていく。
その部屋は独りで過ごすには余りに広い。そして、柱から机の脚に至っ
てまで、事細かに細工が施され、部屋全体が一つの芸術品のようだっ
た。
その完璧な芸術品の中に、まったく似合わない男がいた。
男は、これまたそのむさ苦しい格好に似合わず机に向かい、山のような
書簡に埋もれている。そして、こちらに気が付くと笑顔で声をかけてきた。
「おっ! お疲れ、咲也(さくや)」
咲也、今はもうこの男しか呼ばない名前に頬が弛む。
「お早いお帰りですね」
「ああ、李清(りしん)に食料だけ分けてもらって先に帰ってきた。
あんな大人数で、だらだら歩いていたら、何日かかるか分かったものじ
ゃないからなー」
「山中先輩らしい」
(山中先輩……ね)
相変わらず、自分をそう呼ぶ白至(はくし)に荷厳(かげん)もまた目を
細める。
白至は、この無駄に繊細で豪華すぎる部屋に相応しく、白至自体もまた
芸術品のように優雅で洗練された姿をしている。しかし、その言動だけは
10年たっても変わらない。
「先輩ところで……」
白至はつつっと荷厳の傍に寄ってくる。
「ご飯にします? お風呂にします? それともわ・た・し?」
気持ち悪くしなをつくり、器用にウインクする。
「ええい、気色悪い!」
荷厳が力一杯、張り倒すと、白至はふざけるのをやめて、あはははは
と豪快に笑った。
「やった! 俺の人生の中で一度は言ってみたいor言われてみたい台
詞、第三位を使うことができた! ちなみに第二位は、寝るな! 寝たら
死ぬぞ(BY雪山)です」
「そんな人生でいいのか……お前」
相変わらずのテンションの高さに軽く眩暈を覚える。
白至は一通り笑い終わると、涙目で荷厳を見た。
「いやぁ、やっぱり先輩のツッコミは最高っすね!? 俺、この世界に来
て何がつらいかって、漫才と吉本新喜劇が見れないことです、いや笑点
も捨てがたい……」
本当に、10年間そういい続けている関西出身の後輩に荷厳は頭が痛
くなる。
「やめろ、李清(りしん)がみたら泣くぞ」
「あははは、俺が素なのは先輩の前だけですよー!
普段はしっかり白至様やってんすから。腹黒い親父どもに囲まれて、可
哀想な日々送ってるんすからね!?」
その腹黒い親父どもを蹴散らし、時にはまとめ、そして利用している男
にそんなことを言われたくないだろうと荷厳は思う。
「本題に入るぞ」
荷厳が一喝すると、白至はその場に正座する。
「何故正座なんだ!!」
「あーもうコレコレ! その間髪入れないツッコミ! 先輩、やっぱ俺らコ
ンビ結成するべきです!」
「こんな奴が現王白皇の右側(うそく)だなんて……」
無性に空しくなる。
「まぁ世の中なんて、そんなもんっすよ」
「お前が言うなー!! ああもう、話が進まん! ちょっと黙ってろ」
荷厳と白至は、何も先輩後輩の間柄だけではない。
すべての権力の頂点に立っているがゆえに、まったく身動きを取れない
白至。どんなに僅かな権力を持つこともできないが、何にも束縛されず制
限もなく行動できる荷厳。
元の世界の言葉でいうなら、白至は荷厳という研究者のスポンサーだ
った。研究内容はもちろん、この異世界について。それを調べることで、
なぜ自分たちが紛れ込んでしまったのか?どうやったら帰れるのか?な
ど、様々なことを調べている。
そうして共に過ごした10年もの歳月。世界の理は、ようやく二人の前に
その姿を現し始めた。
白至は、「はいはい」と言うと、優雅に椅子に腰をかける。
とたんに、ぴたりとこの部屋に当てはまり芸術品の一つになる。
「手紙にも書いたが……」
「手紙、届いてないっすよ?」
手紙はあくまで、定期報告みたいなものだが、今まで届かなかったこと
がなかったので、荷厳は驚く。
「あれ? そうなのか? じゃあ初めから話すけど、お前の予想当たって
たよ。赤軍に“拠りひと”がいた。名は周香(しゅうこう)と名乗っているけ
ど、本名は香(かおる)だろうな。香ちゃん。中・高生くらいの女の子だ」
「では、やはり……」
荷厳は神妙に頷く。
今回のことの始まりは、荷厳が“拠(よ)りひと”伝承を調べているときの
ことだった。
拠りひとについては、早い段階から、各地の資料を集めまくっていたた
め、資料は腐るほどあった。そこには、多少の違いはあれど、どれにも共
通している箇所がある。
それは、「ひとでありながら、この世のひとでないひと」と「調和と勝利を
もたらす」という文言だ。
「でもこれっておかしくないっすかね?」
白至の言葉に荷厳は首をひねる。
「え? 何が? だって、お前に当てはまっているし、ここは問題ないんじ
ゃないか? だってお前、白皇の白至として世の中を治めているし、戦に
負けたことないだろ?」
「確かにそうですけど」
しかし、白至にはどうしてもふに落ちないことがあった。
「もしですよ、俺が負けたらどうなるんすかね?
今まで全勝だったとしても、これからも全勝とは限らない。
もし、俺が負けたら、俺は拠りひとじゃなくなるってことっすか?」
それは素朴な疑問だった。荷厳はぽかんと口を開ける。
「そう……だよなー。しかも、良く考えたら、そんな超人的な人間の名前が
なぜ残っていないんだ? 伝承なんてあやふやなものじゃなくて、歴史に
はっきりと名前を残していても良いくらいだ」
しかし、いくらこの世界の歴史上の人物を調べても、“拠りひと”は出て
こない。
そこで、一つの仮定を立ててみる。
「先輩……一つだけ、拠りひとが必ず勝利をもたらすことができる方法が
あるんですが……」
荷厳は「んん?」と興味心身に身を乗り出す。
「すごく嫌な話なんすけど……。拠りひと同士が戦っている場合です」
改めて口に出すと、ぞくりと全身の毛が逆立つ。聞いている荷厳の顔も
さっと青くなる。
「一人の人が常に勝利を得ることは難しいですが、この場合、どちらが勝
っても拠りひとが勝利を得ることになる」
「そして、負けた方の拠りひとは、“ああ、負けたからこの人は拠りひとじ
ゃなかったのかぁ”という評価を得て、例え歴史上に名を残す英雄であっ
たとしても、拠りひとだという事実は残らない」
「例えば、今の俺っすね」
白至自身、はっきりと自分は「拠りひとだ」と宣言している訳ではない
が、素性が明らかでないことと、今まで無敗の経歴からか「あいつ、拠り
ひとなんじゃねーの?」とまことしやかに噂されている。
「俺がこのまま調和と勝利をもたらし続けたら、白至は“拠りひと”だったと
名前が残るかもしれない。でも、現実問題それは無理な話っす。いつか
は、負けて俺が“拠りひと”である噂はなくなる。そして、俺に勝った者の
中に新しい“拠りひと”がいたら……」
この仮定を立てると、各地に広まる拠りひと伝承の謎が解けてしまう。
荷厳は、両腕を寒そうに擦りながら首を振った。
「勝てば官軍、負ければ賊軍という言葉があるが、こっちでは、勝てば拠
りひと、負ければこの世のただのひとってか。確かめる必要があるな」
荷厳の言葉に同意する。
できればそうでありませんようにと願いながら。
「さて、俺らの願いも空しく、予想的中、大当たりだった訳だが……」
「そうっすね、俺らは異世界の仲間同士で戦ってしまってるんすね。
そう結論つけると、今までに俺が戦ってきた相手に拠りひとがいたかも
しれませんね」
荷厳は本当に嫌そうに顔をしかめる。
「仮に、そうだとして、ここからはさらに、俺の根拠のない仮設の一つだ
が、この世界に常に拠りひとは二人いたとしよう」
「俺は抜きの話だぞ?」と忠告が入る。
「それを、俺の都合で、“陽の者”と“陰の者”と勝手に名づける。
これにはいろいろあるのだが、説明すると長くなるので置いておく。
そして、なぜかこの世界は、この二人が争うことを望んでいるとしよう」
事実、現在白至の敵に当たる、赤軍に香がいるのだから、まったくの嘘
とは言えない。
そもそも、何も資料がないこの世界では、仮説を立てては、証拠を集め
て潰していくしか、真相にたどり着く道がない。
「そこで、次に出てくる疑問は……」
白至は、微笑を浮かべ荷厳の言葉の後を告ぐ。
「敵の拠りひとと、俺が争わなかったらどうなるかっすね?」
荷厳は爽やかな笑みを浮かべる。どうやら当たりのようだ。
「どうにか、共存できないかねー? 咲也くん?」
「彼女がどの位まで上り詰めるかによって話は変わってきますが、簡単に
はいかないでしょうね」
そう答える男は、冷酷な軍師の顔をしている。
「でも、できる限りやってみましょう! 俺も香ちゃんに会ってみたいし」
そう答える男は、お笑い好きの後輩の顔をしている。
「あっそういえば、お前だろ!? 勝手に光凌の親衛隊に入れたの!?
すっげー大変だったんだぞ!」
「あはははは、面白いかと思って」
「あははーじゃねぇ!? お前本気で殴るぞ」
白至は、にかっと笑い激怒する荷厳を制止する。
「でも、動き易かったでしょう?」
「うっ……」
確かに、情報収集には事欠かず、行動も制限されることなく、潜り込む
には最適な場所だった。ただ少し、仕える人物の性格に問題があったか
もしれないが。
「俺もいろいろ考えてるんっすよー」
「……だったらもう少し俺の苦労も考えてくれ……」
白至は楽しそうに笑うと「次回から気をつけます」と礼儀正しく頭を下げ
た。
「あー喉が渇いた。先輩、お茶でいいですか?」
そう言って優雅に立ち上がる白至を見て、ふとどうでもいいことが気に
なった。
「なぁ、お前の人生で一度は言ってみたい台詞、第1位って何なんだ?」
また、くだらないんだろう?と笑いかけると、予想外に白至は困ったよう
な顔をする。
「はは……俺の好きなゲームで使われていた言葉なんですけどね」
どうも歯切れが悪い白至に、荷厳は首を捻る。
「もう、何回も使ってしまったんですよね」
白至は荷厳の質問に答えると、何もなかったように茶器に湯をそそぎ、
お茶の準備を始める。しかし、その答えは荷厳の心に突き刺さった。
もう、何回も使ってしまった言葉。こっちの世界に来るまでは、冗談でし
かなかった台詞。
“敵将、討ち取ったり”
その言葉は笑い飛ばしてしまうには、余りに重すぎた。
兵士たちの喜びの宴は朝までつづき、毎朝恒例の暴風に追い立てられ
お開きとなる。
今日も、空はどこまでも青く、とても良い天気だった。背後から追われる
心配は消えたが、一行は少しでも早く光州にたどり着かなければならな
い。無事にたどり着いて始めて、この戦は勝利となる。
(これは、家に着くまでが遠足ですっていうことだわ。気を引き締めない
と)
それでも、香は気が緩むことをとめられない。余りにもいい天気すぎて、
眠くなってくる。
「香様、しっかり捕まっててくださいね」
香を乗せた馬を操る甘睦(かんぼく)が、絶妙なタイミングで忠告してく
れる。そのおかげで、香は落馬することなく、はっと我に返り甘睦の背中
にしがみ付く。
「香は馬に乗れないのか?」
見事な毛並みの黒馬を優雅に操っているのは、隣を行く光凌(こうりょ
う)だ。
(まぁ……なんて魔王に相応しい闇色の馬……)
赤皇は、前を光領(こうろう)と共に談笑しながらゆっくり馬の歩を進め
ている。厳巌(げんがん)は、後ろの方で、赤軍の兵士たちとやかましく歩
いている。
光凌と二人で話すのは嫌だったが、無視する方が怖いので大人しく返
事をする。
「はい、乗れません。だから私も歩くって言ったんですけど……」
これには甘睦が黙っていない。
「いけません!香様は病み上がりなのですから」
「それに俺の軍師だしな」
見ると赤皇が振り返り、楽しそうに笑っていた。
「は……ははは」
(赤皇ってばあの話、けっこう本気なのかな?)
乾いた笑いを浮かべると、凍て付くような殺気を感じ身体が強張る。
見ると、光凌は口元を優雅に微笑ませていたが、目がまったく笑っていな
い。
「ほほう。香が軍師か。それはそれは」
あくまで上品に馬を寄せると、がしりと肩をつかまれる。
「ひぃ!?」
怯える香の耳元で、香にだけ聞こえるように呪いの言葉は吐かれた。
「クソ餓鬼……余りいい気になるなよ」
その様子を見ていた光領が、「あんなに仲良さそうに打ち解けて」と微
笑ましい笑みを浮かべる。
(違いますから!? 違いますから! お宅の息子さん、猫かぶってます
からー!!?)
もう、この場で光凌の性格の悪さをばらしてやろう、そう思って光凌を睨
むと、さも可笑しそうに鼻で笑われる。
「ばらせるものなら、ばらしてみろ。
その代わり、ばれしたお前が殺(バラ)される覚悟があるならばな。
ふっふっふっ。……絶対……あの目はそう言っている……」
ガクガク震えながら、甘睦にしがみ付く。
「いや、さすがに光凌殿もそこまで言わないのでは?」
「言うもん! むしろ、それ以上にひどいことを考えている目だわ、あの目
は! 甘睦は知らないのよ! はっ!? 荷厳さんならこの恐怖を分かっ
てくれるはず」
いろいろあったこともあり、今のいままですっかり忘れていた。香は、ビ
クビクしながら光凌に話しかける。
「あの光凌様……荷厳さんはどちらへ? まさか、ばっさり処断とかされ
ていませんよね?」
「荷厳? 誰だそれは?」
それは嘘をついているような顔ではなかった。むしろ、「急に何を言い出
したのだ、この馬鹿。頭大丈夫か?」という純粋な侮蔑か含まれている。
“イレギュラー”
荷厳の言葉がよみがえる。
“あんまりこの世界に干渉できないんだよね”
今の光凌の反応を見ていると、その特異さが少しだけ分かるような気
がする。この世界で異質な存在の香より、おそらくさらに異質な人物。
(また、会えるよね?)
香が見上げた空は、どこまでも青く澄んでいた。
つづく
第一章 完
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