空が夕焼け色に染まり始めました。 とても綺麗なこの景色も今の彼女には不吉なものとしか思えないのでしょう。 「兄様……」 花の蕾のような唇が開き可憐な声が聞こえます。 ぎゅっと握り締めていた小さな手のひらを開くと額をつけると、 この国の神の名を呟き祈りを捧げます。 「兄様が無事に帰って来ますように」 赤い光が差し込む神殿で、家族の無事を祈る美しい少女の姿は見る者の悲哀を誘います。 しばらく神に祈りを捧げた後、揺れる蒼瞳で少女は私に尋ねました。 「賢者様、兄様は大丈夫ですよね?」 憂いを浮かべた表情に、裏は一切ありません。あるはずがありません。 しかし、その優しく波打つ黄金色の髪も、多くの人を魅了する大きな青い瞳も、 白い肌も背丈さえも、少女の全てのものが別の人物を彷彿させ私の心を乱します。 (どうしよう。最近、アリア姫がフェリア王子に見えて少し怖いなんて……誰にも言えない) この二人の姫と王子は、神に傅く(かしずく)国クシャートに誕生しためずらしい双子の王族で す。 同じ格好をすると世話役でも見分けがつかないほどの容姿のため、私が惑うことも道理。 しかしながら、神職の最高位である賢者を賜っている者が、人を外見で判断してはいけませ ん。少女の額にそっと手をかざし、神の慈悲を伝えます。 「安心なさい。王子は必ず帰ってきます」 「でも、山賊退治だなんて危険なことを」 姫の憂いと払うべく、さらに言葉を続けます。 「大丈夫ですよ。勇者も同行しております。 もうそろそろ帰ってくる頃でしょう」 そのような話をしているうちに、外が騒がしくなり、話し声と共に神殿に人が入ってきます。 そのとたんに姫に笑顔が戻ります。 輝く瞳を一度私に向けると、小走りに駆け出します。 「兄様!」 「え?アリア、ここにおったんか!?」 慌てた王子は、嬉しそうに飛びついた姫を受け止め、そのまま隣にいた青年から隠すような仕 草を見せます。 青年はまったく気にした様子も見せず、人の良さそうな笑みを浮かべます。 「あーアリア姫だ!お久しぶりです」 「あら?ウル様!お城に来ている勇者様ってウル様のことだったのですね。 本当にお久しぶりですね」 勇者に挨拶をしようとした姫を王子が必死に止めます。 「兄様?」 不思議そうな姫に、王子は優しい笑顔を浮かべます。 「アリア。勇者に近づいたらあかん。アリアは知らんやろうが、この世の中には、 危ない人間がたくさんおるねん。例えばアリアみたいな可愛くて幼い子を……」 「わぁああ!?何言ってんですか?」 「何って、アリアにももうそろそろ世の中の危険を教えなあかん」 「それは良いですけど、いいかげん僕の幼女好きという誤解を解いてくださいよ! はっ!もしかして、最近アリア姫に会わなかったのは、会わせないように仕向けられて た!?」 王子は悪びれも無く「念のためや」と頷きます。 「ちっがーう!僕が好きなのは、サクラさんです! サクラさんは立派な大人……大人?え?大人だよね? えっと、年は知りませんけど、素敵で優しい女性なんです!」 「サクラさんってガルやろ?人の年齢はよく分からんけど、あの娘さんの格好の時は、15〜20く らいの外見じゃないかなって言ってたで?」 「へぇそう……ってなんで僕が知らないことを王子が知ってるんですかぁ!? うわーなんか悔しいぃ!」 ジタバタする勇者を見て、王子は舌打ちをします。 「相変わらずめんどくさいやつやで。なんでこいつが大陸一の勇者やねん」 「王子、抑えて抑えて」 普段は被っている猫が、ずり落ちている王子に軽くフォローを入れつつ、 神殿という神聖な場で叫びまくっている勇者に注意を入れると驚かれてしまいます。 「あれ?賢者様いつの間に!?」 「ずっとここにいましたよ」 その言葉はあれでしょうか。私に存在感がないということでしょうか。 少し気にしているのでそういうことは言わないで欲しいです。 しかし、その言葉が気に入ったのか、王子は私に指を指して腹を抱えています。 「あはは!白い神殿に白いお前がおるから同化して見えんかったんちゃう? それ暗殺とかに使えるで!」 そういう物騒なことは言わないで欲しいです。 「ほんとだ、大発見だね、王子! ウィルサル国に新しく建てられた聖都は真っ白だから、グダル先生大活躍じゃない!?」 勇者が無邪気な笑顔で無責任に話を広げていきます。 「グダル、良かったなぁ!これで賢者を辞めさせられても、再就職先があるやん! お前、神職から暗殺者ってどんだけ波乱万丈人生やねん! 自伝書いたらベルトセラーやで!?老後も安泰やん!」 「お、王子!?」 笑いすぎて涙目になってしまっている王子。しかし、私はまったく笑えません。 それより、王子の頭の中に、私が今の職を辞めさせられる可能性があったことが衝撃的です。 賢者と言う職は、前任が引退か死亡による交代制ですが、 この斬新かつ前衛的な王子ならそういうこともやりかねません。 私が長い年月を費やし身につけた魔術は、人を癒しこの国の信仰を守るためのものです。 決して聖都で人を殺めるためのものではありません。 そのような人生まっぴらごめんです。 肝を冷やしつつ、首にならないためにも、 今後、一層の忠誠心を秘かに王子に誓います。 神殿に不釣合いな笑い声を止めたのは、可憐な小さい声でした。 「兄様、ウル様。余りいじめては賢者様が可哀想」 そのとたんに、王子は顔を緩めます。 「そうやなぁ。アリアはやっぱり可愛いなぁ」 「ほんとアリア姫は良い子だよね。王子とは正反対だよ」 勇者の言葉に王子は冷たい視線を送ります。 「お前いつまでここにおるねん。さっさと東の塔に帰れや!」 「ひどい!?王子が無理やり連れてきたのに!」 二人の不穏な空気に気がついているのかいないのか、姫はマイペースに話に割り込みます。 「そういえば、勇者様宛にお手紙が届いていました」 「え!」 勇者の瞳で期待で大きく開きます。 「もしかして、サクラさんからからも! しばらく会えないから手紙を送ったんだ!!どこにあるの?」 「ウル様が滞在しているお部屋に……」 「分かったありがとう!」 そういい残すと、風のように走り去ってしまいます。 急に静けさを取り残した神殿内に、王子の冷静な命令が下されます。 「グダル。滞在中の勇者の世話は任したで」 「はい」 「アリアのためや。出来る限りさっさと追い出せ、分かってるな?」 王子の有無を言わさない命令に、私は同意するしかなかったのです。 気が進みませんが、これも我が主の命。遂行しないわけにはいきません。 勇者の後を追い、城の一室におもむきます。 「ウル、入りますよ」 挨拶もそこそこに部屋の扉を開くと、机に向かった姿で勇者が頭を抱えていました。 重い空気背負うその姿は、とても心思う方から手紙が届いたようには見えません。 「ウル?」 再度声をかけるとようやく勇者が顔を上げます。 「グダル先生……」 気落ちした様子の勇者は情けない声を出します。 「この手紙見てくださいよ、ひどすぎる……」 涙目の勇者から手紙を受け取ると、躊躇いつつも手紙に目を通します。 そこには、書いた人の気品が漂う美しい字が綴られていますが、内容は伴いません。 『嬢ちゃんに手紙とか、ケツの青いガキの分際で調子乗ってんじゃねぇぞ。 というか、たまたまオレが受け取ったから、そのまま暖炉にくべてやったわ。フハハハ。 お前がいないから、オレは毎日嬢ちゃんの手料理が食べ放題だぜ。 もう一生この塔に戻って来るなよ。お前の座る席など無い』 どうやら勇者の恋文は、お目当ての方に届かず燃え尽きたようです。 「相手は貴方の恋敵ですか?」 「はい、魔王です」 魔王呼ばわりするとは、勇者はよほどその方のことを嫌っているようです。 「ああっくそ!早く帰って魔王を始末しないと!待っててくださいサクラさん!」 そう叫ぶと、勇者はものすごい勢いで走り去りました。 事情は良く分かりませんが、これで私のお役目も終わり……。 「って駄目だ駄目だ!決闘したら、怒られるんでした! どうしたらいいんでしょうか、賢者様ぁ!!」 去った時と同様、ものすごい勢いで戻ってきた勇者は、私の足にすがりつきます。 話を聞いた所、以前その魔王の如き男ともめた時に、うっかり塔の真横に大きな穴が開けてし まったらしいです。 お目当ての女性に怒られるわ、魔道師には塔から追い出されるわで許してもらうのが大変だっ たと。 それにしても、この勇者と力で対峙出来る者が存在するとは世界はまだまだ広いです。 そのような者達や権力者達が好んで集まる東の塔は、不可思議な場所と言えるでしょう。 「ウル、何事も力技ではいけませんよ。 時には穏やかに話し合うことも必要です」 「でも、魔王に口で勝てる気がしないっていうか……あ、そうだ!」 勇者は徐に机に駆け寄り、引き出しからレターセットを取り出します。 「そうだ!口では勝てないから、ペンで戦えばいいんだ!」 真剣な顔で机に向かう勇者を見て、嫌な流れになってしまったと私はさっそく後悔してしまいま す。 ため息をつきつつ、事の成り行きをうかがっていると、しばらくして勇者が嬉しそうに叫びます。 「出来た!これどうですか、賢者様?」 『人の手紙を燃やすとか信じられない! それに、元からあの塔に僕の席なんてないよ! 魔王が帰るなって言っても、僕は絶対帰るからね!!』 「どうですって……」 勇者の文面はまったく戦えておりません。 むしろ、“お前は魔王の彼女か”と言いたい所ですが、私も聖職者なので、 言葉には慎みを持とうと思います。 私の沈黙を良しと取ったのか、勇者はにこりと微笑みます。 「では先生、さっそくこの手紙を聖都までお願いします」 「どうして私が……と言いたい所ですが、塔ではなく聖都にですか?」 「あ、はい。相手は聖王なんで」 さらりと当たり前のことのように、ものすごいことを暴露されてしまいました。 勇者は聖王と一人の女性を取り合っているのでしょうか。 それにしても、魔王を倒した聖王を魔王呼ばわりするとは、 勇者もなかなか風刺が効いたことをすると感心してしまいます。 しかしながら、なんだか見てはいけない裏の世界を垣間見てしまった気が。 「詳しく話すと……」 「いえ、それ以上は結構です。これを届けたら塔にお戻りくださいね」 私は事情を説明しようとする勇者の言葉を遮り、手紙を受け取り部屋から出ます。 世の中には知らない方が良いことなどたくさんあるのです。 特に聖王の女性関係など知った日には、口封じに消されてしまう可能性すら出てきます。 それ以前に、早く勇者を追い出さないと私がこの国から追い出されてしまう危険すらあります。 私は手紙を届けるために転移魔法の詠唱を唱え始めました。 勇者の手紙を届けてから次の日。 私の前に一人にの立派な騎士が現れました。 漆黒の髪の下に、金色の瞳が輝きます。 鎧は着ていないものの、腰に提げている剣は確かに聖騎士だけが持つことが許されているも のです。 騎士は礼儀正しく頭を下げます。 「賢者グダル様ですね。私は聖王の使いの者です。これを」 差し出されたのは白い封筒です。 「これは?」 「勇者様にご返信とのことです」 「そ、それはそれはお早いことで」 というか早すぎです。 手紙を届けたことですし、今日にも帰ってもらう算段だったのに、 もう返事が届いてしまいました。 聖王から届いた手紙を、勇者に渡さないわけには行きません。 それにしても、この騎士は転移魔法でも使えるのでしょうか。 聖都からこの国までかなり離れており、徒歩ならば数ヶ月はかかってしまいます。 決して、気軽に歩いて来れる距離ではありません。 「騎士様、ここまでどのようにいらっしゃったのですか?」 「ああ、それは飛……」 騎士は急に固まります。 不思議に思っていると、騎士の衣服乱れに気がつきます。 「失礼ですが騎士様、背中の方がほつれていらっしゃいますよ」 「ああ、これは羽……」 またもや言葉の途中で固まった騎士は、何も言わないまま礼儀正しく頭を垂れます。 「では、確かにお渡ししました」 いろいろ疑問はありますが、知らなくて良い方のことが世の中多かったりするのです。 気を取り直して、勇者の下へ向かいます。 帰り仕度をしていると思いきや、勇者は机に向かっていました。 「勇者、何をしているのですか?」 「えっと、サクラさんに手紙を」 まだ懲りてなかったようです。 嬉しそうにペンを走らせる勇者に、封筒をそっと差し出します。 「聖王様からです」 「よし来い!」 何か良いのでしょうか。 もうさっさと帰って欲しいです。 勇者の後ろから手紙を覗くと、聖王からの返事はたった一行です。 『今日さぁ、お前が言う“サクラさん”に会ったぜ』 「ぎゃああ!?」 心に瀕死の重症をおった勇者は、涙ながらに語ります。 「僕でも数えるくらいしか会ったことないのに!」 「あ、はぁ?そうなのですか?」 「僕はどうしたらいいんですか!先生!」 「塔に帰れば良いと思いますよ」 「それは最終手段です!く、くそぉ!負けない!!」 涙を拭き、不屈の精神で再びペンを取る勇者を見て、 私は諦めのため息をついてしまうのでした。 それからというもの、勇者と聖王の文通は続きます。 『年上のくせに、若い娘に手を出さないでよ! 引退しろ!今すぐ恋愛ごとから引退しろ!』 『聖王は引退してもいいけど、そっちの方は俺は一生現役だ。 というか、種族をがっつり越えようとしているお前の方がよっぽど問題だぞ。 今すぐ身を引け。それか病院に行け』 『引かないし行かないよ!?恋愛に種族は関係ないよ!』 『じゃあ、年齢も関係ねー』 『関係あるよ!?』 『じゃあ、種族も関係ある』 「う、先生。聖王がこんなこと言ってきました!何て返そう」 「今すぐ塔に帰れば良いと思います」 このくだらない手紙の応酬に付き合わされている、 私と騎士の苦労を一度考えてみて欲しいです。 私の心配を他所に、王子が部屋に篭もりきりの勇者の存在を忘れかけた頃、 勇者は神殿に現れて、今まで見せた事のない深刻な表情で、白く分厚い封筒を私に差し出し ました。 「ウル、これは?」 「今回の山賊退治で王子から頂いた報酬です」 中を見ると、ぎっしりと札が入っています。 「グダル先生……これであのにっくき魔王っ、じゃなくて聖王を暗殺してください! 大丈夫!先生の白さだったら、きっと誰にもばれません!!」 その日、私は代々賢者に伝えられてきた由緒正しい銀の杖で、 爽やかに暴言を吐いた迷えるの子羊の頭を殴ってしまいました。 ああ、慈悲と恵みのガルナア神よ。 どうか私をお許しください。 END アトガキ> 前サイトの感謝祭にて、トスカ様よりいただいたリクエスト「勇者と魔王の小競り合いみたいなの」でした。 がっつりケンカさせようかとも思ったのですが、あの二人がもめたら地形が変わりそうな気がしたので、 非常に遠まわりな遠距離小競り合いにしてみました。 リクエストにお答え出来ているかは分かりませんが、書いている本人はとても楽しかったです! ありがとうございました! 戻 |