鏡のように磨き抜かれた廊下で、一歩一歩確認するように足音を立てながら歩きます。
そんな私に向かって、すれ違う人は恭しく頭を下げます。

「これはこれは聖騎士様」

軽く会釈を返し通りすぎましたが、今の人物が誰だったのかは分かりません。
人間の顔はどれも似ている上に、服を毎日着替えるので、見分けがつきそうにもありません。

そんなどうでも良いことはさておき、私が向かう先はただ一つ。
既に目の前に見えている城の大広間へ繋がる巨大な扉です。
私がお仕えする方は、狭い場所が嫌いなのか、一日のほとんどを大広間の玉座の上で過ごし
ます。

「まったく、もう……」

手に抱えているのは、王の判決を待つ書類の山です。
それを脇に抱えながら歩いていると、無性に腹が立って来ます。

それは、書類に対してでも、仕事をサボっている王に対してでもありません。
“両足を使って歩く”という行為にです。
いちいち左右の足を前に出さないと前に進まないし、
動くたびに、足音が響いて自分の位置を晒していることも不愉快です。
そもそも、翼を持った魔族の私は今まで歩くことの方が珍しかったのです。

代々魔王にお仕えしている我が種族は、伝統ありかつ由緒ある一族。
ドラゴンの形のような漆黒の翼に、鋭く長い爪と尖ったくちばしを持ち、
釣りあがった黄金色の双眸は闇の中で美しく光ります。

ガーゴイルと呼ばれる我らは、まさに王に仕える王族の守護者と言える存在です。

「それが今はこんな姿に……」

己の姿を見てため息をついてしまうのは、これで何度目でしょう。

磨かれた柱に移る己の姿は、触れるだけで切れてしまいそうな柔らかい肌色の肌。
そんな貧弱な身体を守るために鎧という枷で身を包み、爪の代わりに剣を腰に下げています。
私の原型が残っているとすれば、金色の瞳と漆黒の髪色くらいでしょうか。

“人間”というおそらくこの世で一番か弱い生き物に変化しなければならないこの悪夢のような
現状。
しかし、それは今嘆いても仕方がないことです。

それが守護者たる我が一族の仕事なら、全てを受け入れるのみ。

大広間の扉の前には、兵士が二人立っています。
外見は人間のように見えますが、彼らは私と同じ一族の者です。

機動力に特化しているガーゴイルは、変化を得意とせず、
自力で長時間人間に変化出来るということは、私を含め彼らもかなりの高等魔族です。

二人の兵士は、私に目配せをすると扉を開きます。

「どうぞ、団長殿」

彼らがそう私を呼ぶように、私はここでは便宜上、
彼らの所属する騎士団の長ということになっているのです。

開かれたその先に広がる純白の世界の眩しさに、毎回の事ながら一瞬目を瞑ってしまいま
す。

壁も柱も大理石で作られており、玉座へと真っ直ぐに伸びる足元の絨毯ですら白い空間。
広間の奥は一段高くなり、その上に銀色の玉座が備わっています。

玉座の背後には、床から天井へと細く伸びる三枚のステンドグラスがあります。
三人の賢者が描かれた色とりどりのガラスだけが、唯一この色の無い空間を彩っています。

太陽が真上に差し掛かるこの時間帯は、そのステンドグラスから色彩の雨が玉座にだけ降り
注ぎ、まるでこの世界の王を祝福するかのようです。

全ての魔を祓うかのような清廉な空間の主は、
肘かけに片肘をつき、天井を仰ぎながらダルそうに呟きました。

「あー……めんどくせぇ」
「めんどくさいと言いつつ、何もしてないではないですか」

近づき書類の山を手渡します。

「お前がそれを持って来たのを見たから、先回りしてめんどくさいって言ったんだよ」
「そんな先回りは止めてください」

「ちぇー」と口を尖らしながら、書類をめくるこの人こそ、魔族を統べる王でありながら人の世の
王でもある聖王です。
しかしながら、魔族の私としては、ここは魔王と呼ばせていただきます。

「そんな仕事、貴方なら一瞬で終わるでしょう」

ふて腐れた顔をしながら、ペンを走らせ印字を押していく魔王。
彼が動くたびに、頭や腕、首を飾る銀色の装飾品が揺れて微かな音を立てます。

「はい、終わり!出来た!」

ものの数分も立たないうちに、書類の山は片付きます。
元からとても優秀な方なので、この程度の雑務は朝飯前といったところでしょうか。

「お、もうこんな時間だ。昼だ昼飯!」

そうとう退屈していたのか、玉座から立ち上がった魔王は、嬉しそうな笑顔を浮かべます。

「ちょっと待ってください!」

慌てて止めると魔王は、「はぁ?」と眉をひそめます。

「まさか、また東の森の塔に行く気じゃないでしょうね?」
「行くし」

「魔王様、いいかげんにしないと城内の連中に怪しまれますよ」
「別にいいし」

「魔王様!」
「なんだよ!?このオレに口答えする気か!このイケメン騎士様がよぉ!」
「イケメン?」

今の魔王は元から人の血が混じっているためか、よく分からない流行りの言葉を使うことがあ
ります。
話の流れからすると、悪口に当たる言葉でしょうか。

「お前卑怯なんだよ!?元は、いかつい魔物だったくせに、変化したら黒髪の男前って何
だ!?」
「は、はぁ?しかし、変化の術は種族は変えれましても、外見までは操作出来ませんので」

「何それ!?元から美形でしたって言いたいのか、コノヤロー!!」
「そんなことを言われましても……」

襟首をもたれガクガク揺らされ、どうしたらいいのか分かりません。
そもそも褒められているのか、怒られているのかも良く分かりません。

「つかお前、そんななりして、何もない所でいきなりこけるんじゃねーよ!?
 後、いいかげん人の顔と名前覚えろよ!イケメンがボケてたら、ただの萌えキャラじゃねー
か!」

「すみません、魔族にも分かるように話していただけませんか?」

「そういう少しズレた冷静な対応に、また乙女がキャーってなるんだよ!?
 何、勝手に俺よりモテてるんだよ、生意気だぞ!」

「しかし、私は人の雌に興味はありませんが?
 ああ、人は雌とは言わないのですね。えっと、私は女性に興味はありません」

「そういう誤解を招くようなことも今後一切口に出すなーーー!!?
 どこまで貪欲なキャラ付けなんだよ、お前さんはよぉ!!」

魔王は頭をかきむしっています。

「まさか、こんな所に強力な伏兵がいようとは……。
 このままだとオレの楽しい王様生活が窮地に陥る可能性もある」

一人でぶつぶつと呟いた後に、魔王は何か決めたようです。

「よし、お前結婚しろ!」
「誰と……人間の雌とですか?」

「あ、うーん、それでもいいけど、同族でもいいからとりあえず特定の女を作れ!
 これは王命だ」
「はぁ、別にかまいませんが?しかし、魔王様」
「なんだよ?不服なのか?」

我が一族が主命に背くということはありません。
ただ、今回は容易くは遂行出来ないようないような気がします。
その理由はこうです。

「私はまだ発情期を迎えていませんので、女性と付き合ったことがありません」

ガーゴイルの発情期は、成長期が終わってからです。
己の能力を最大限に引き出した後に子孫を作ることにより、一族は衰弱することなく繁栄して
来ました。

「ちょ、おま……。女性経験のないイケメン騎士団長様か……正直、勝てる気がしねぇ……」

床に両手両膝を着いた魔王は、何かに敗北してしまったようです。
この世で一番強いとされる王が、いったい何に勝てないのか少し興味が湧いてきます。

「分かった。こうなったら、徹底的にお前のキャラを壊してやる!
 ついて来い!!」
「は、はぁ?」

こうして私は、魔王に連れられて外出することになったのです。




転移の術でつれてこられた先は、森の中にある寂れた塔でした。
なぜか、先端が吹き飛んでいる塔を見上げながら私は嫌な予感がします。

「もしやここは……?」
「東の森の塔だ」

やっぱりと言おうか、何と言おうか。
ここには、魔王を聖王に変えると言うとんでもないことをやり遂げた一筋縄では行かない面々
が住んでいます。
俗に言う、聖王を支える三賢者。

神に祝福されし勇者に、軍神の異名を持つ戦乙女、そして、人を嫌いきれなかった心優しき魔
道師。

しかし、それは偽りです。

「私、ここの人たち苦手なんですけど……」

以前に、魔王と共に人を攻め込んだ時に戦った相手です。
特に魔王と対等に渡り合えるほどの力を持つ人とは思えない勇者の戦いぶりには、魔族の自
尊心が傷つきました。

あの戦いで人間を見直したという魔族も少なくありません。
そのためか、人の中に混じって生きていく魔族が増えたのも事実です。

「大丈夫だって、今のお前があの時のガーゴイルだなんて、誰も分からないって」
「そうですか?」

そう言うのならそうなのでしょう。
魔王は、跳躍するとわざわざ塔の壁をよじ登っていきます。

「そこが入り口なのですか?」
「いいや、ここから入って驚かせるのがオレの趣味!」
「はぁ……」

そういうものなんでしょうか。
私はと言うと、服と鎧を着ているせいで、自慢の羽を広げることも出来ません。
仕方がないので、目の前の扉に向かって歩き出します。

その扉の横には、「押してください」の文字と共に、突起した魔道具のようなものが取り付けあ
ります。
とりあえず、指示に従い押してみると、辺りに奇怪な音が響きます。

“ピーンポーン”

「???」

しばらくすると、「はいはーい」と言う声と共に、扉が開き小さな女の子が顔を出します。
物珍しい薄桃色の髪を左右でくくり、その髪の下に見える耳は尖っています。

「どちら様ですか?」

こちらを見上げる瞳の色は魔族の証である闇の色。
と言っても、私が金色の目を持っているように、魔族全般が黒い目とは限りませんが、魔族に
黒い瞳は極端に多いのです。

少女は、こちらを不思議そうに見上げています。
魔王の言った通り、私がガーゴイルだとは分かっていないようです。

「初めまして。私はヤーウェイと申します。今、こちらに我が主君が……」
「しゅくんさん?」

少女が首をひねっていると、塔全体を揺らすような轟音がします。
少女は後ろを振り返った後、ぎこちない笑みを浮かべて尋ねてきます。

「あの、もしかして魔王様関係の方ですか?」

この表情から察するに、かなりこちらのお宅にご迷惑をかけてしまっているようです。

「そうです。申し訳ありません」
「い、いえいえ。えっと、今、皆でご飯を食べてるんです。どうぞこちらへ」

少女が案内してくれた先は、なぜか大広間です。

「大広間で食事……ですか?」
「うう、なぜか毎回ご飯を食べに来る方が数名いまして……」

どうやら、魔王もその数名の内に含まれているようです。

「申し訳ありません」
「いえいえ」

二つくくりの髪を揺らしながら前を歩く少女は、何かの術がかけられているようです。
専門外なので詳しいことは分かりませんが、強制的に魔力を抑えているような気配を感じま
す。

「こちらです」

少女に案内された扉の奥では、大広間にテーブルが置かれ、
数人の人がそこで本当に食事を取っています。

「魔王様……」

声をかけると、もうすでにテーブルについている魔王は、「よ!」と片手を上げます。
その背後の壁が盛大に吹き飛んでいるのがとても気になります。

テーブルについていた銀色の髪を持つ、黒ずくめの男が立ち上がります。

「貴様、魔王の関係者か?」

礼儀を知らない人間は尊大に尋ねます。

「はい。ヤーウェイと申します」

頭を下げると、水色のエプロンをつけた男が、両手に皿を持ちながら私を見て「あー!?」と叫
びました。

「僕この人知ってるよ!今、噂の聖騎士様だ」
「……そういう貴方は勇者ウル?」

疑問系になってしまったのは、どうみても勇者が食事の世話をしているように見えるからです。
勇者は、明るい笑顔を浮かべながら、私にも座るように勧めます。

「さぁさぁどうぞ!」
「いえ、私のような者が魔王様と同じ席に着くわけには……」

困って魔王を見ると、我関せずで先ほどここまで案内してくれた少女と楽しそうに話していま
す。

「ここでは、そういうことは関係ありませんわ」

同じ席に着いていた女性は、にこりと優雅に微笑みます。
人の区別が余りつかない私ですが、この女性が他の人間より遥かに見目が良いのだろうとい
うことはなんとなく理解できます。
それほど、彼女を包む空気が神々しいのです。

長年に渡り王に仕えてきた者だからこそ分かります。
彼女は王の器を持つ者です。

言われるがままに席に座ってしまったのは、王に追従してきた一族の血がそうさせたのかもし
れません。

「わたくしは、エリアです」
「ウィルサルの第一王女エリア姫ですね」

確認すると、姫はふわりと微笑みます。

「あら嫌ですわ。それは過去のお話で、今はただの同居人です。
 私の同居を許してくださっているのが、この塔に住む魔道師ガラハド様」

姫に紹介された魔道師は、思いっきり顔をしかめています。

「して、聖騎士とやら、お前の主が壊したあの壁はもちろん修理してくれるのだろうな?」
「はい。それはもちろん」
「ならいいが。ついでに、塔のてっぺんも直してくれると有り難い」

それも魔王が破壊したのでしょうか。
楽しそうに出かけて行くと思えば、破壊活動をしていたなんて、さすが我らが魔王様。

魔王はというと、早々に食事を終わらせ、デザートに入っています。
視線が合うと、「もう少し待て」と指示を受けます。

一通りの食事が終わった後、勇者が食器を片付け、少女がテーブルを綺麗に拭いていきま
す。

「さてと、じゃあ始めますか!」

魔王が立ち上がると、魔道師と勇者が揃って嫌な顔をします。

「食ったのなら、とっとと帰れ」
「今度は何するつもり??」

冷たい言葉にも魔王は少しも動じません。

「ばーか!今日はお前らのために、このオレ様が時間を裂いてやろうと言うに」
「頼んでない」
「そーだそーだ」

「名づけて、『魔王様の恋愛講座』だ!」

両手を広げて「じゃじゃーん」と自ら効果音をつけています。
唯一パチパチと拍手をしたのは、エリア姫です。
少女ですら、疑い深げな表情をしています。

「お前ら、よーく聞いとけ!特にヤーウェイ!これはお前のための講義だ」
「はい」

どうやら先ほどの「結婚」の話の続きのようです。
私が頷くと、勇者が首を捻ります。

「でも今、聖王に仕えている騎士団長は、ものすごい美形だって各国で噂になってるよ?
 そんなモテモテな聖騎士様に恋愛講座なの?」

「そうだ。こいつはお前以上に曲者なんだよ!」
「え?僕って臭い?」

「……そういう所が……臭いんだよ」

ガーンと衝撃を受けている勇者に、魔道師はため息をつきます。

「また訳の分からんことを。お前らは勝手に遊んでろ。俺は部屋に戻る」

立ち上がった魔術師に少女がポツリと呟きます。

「え?ご主人様が、この場で一番聞いておいたほうが良いんじゃないですか?」
「どういう意味だ」
「そのまんまの意味ですけど?」
「ほう」

魔道師の手のひらが垂直に少女の頭に落ちていきます。

「いたっ!暴力反対です!」
「そうだぞー。か弱い女性に手を上げるなんて最低だぞ、ガラハドくん」

魔王の言葉に魔術師が馬鹿にしたような笑みを浮かべます。

「か弱い女性だと?この場に女性は、エリアしか見当たらんが?」
「ご主人様、ひっどーい!……と言いたい所ですが、お姫様が嬉しそうなので許してあげます」

「魔道師様にとって私はか弱い女性なのですね」

魔王は嬉しそうに手を叩きます。

「おおう、いいねぇ!今からその話をエリアにじっくり聞こうぜ!
 ほらさっさと行けよ、ガラハド!こっちはこっちで勝手に盛り上がってるから気にすんな」

魔道師はため息をつくと、もう一度席に着きます。

「魔王、くだらない話はするな。さっさと終わらせろ」
「はいはーい」

ようやく始まった恋愛講座。

「とりあえず、エリアに練習台になってもらおうぜ」

魔王の提案により、私が姫に求愛するという設定がなされました。

「とにかくさぁ、初対面時はガンガン自分の話はすんな!
 自分の話しかしない男は嫌われっぞ。
 相手の話を聞きつつ、その話題に興味を持って楽しく広げられる男が一番好感が持たれる。
 でも、相手を質問攻めにしては駄目だぜ。自分のことをまったく言わない男は逆に警戒され
るしな」

「へーそうなんだぁ。予想外に本当に勉強になりそうだね」
「勇者君お静かに。後、オレのことは先生と呼ぶように」
「はーい、先生ー」

魔王の生徒になる勇者に問題はないのか、少し引っかかりましたが、
今は聖王でもあるのでおそらく問題はないでしょう。

「はい、ヤーウェイ君やってみて」

急にそんなことを言われても困ります。
しかし、主命に背く訳にはいきません。

「………?」

何も思いつかず、魔王を見ると、「とりあえず趣味とか聞いてみたら?」と的確な指示を与えてく
れます。
さすが魔王様。

「ご趣味はお有りですか?」
「そうですわね。読書を少々」

読書。都合の良いことに読書なら私も良くしています。

「読書ですか。私が最近読んで興味深かった本は「逃亡戦」についてです」
「おーい、このバカヤロー。そっから、どう話を盛り上げていく気だ?」

魔王の言葉を遮り、姫は嬉しそうに手を叩きます。

「まぁ、それは興味深いですわね!
 古来より戦と言うものは、攻め時を見極めるよりも、退却時を見極める方がより難しいとされ
ています。
 それを見誤ると大きな打撃を受けるだけでなく、最悪全滅すらありえますね。やはり軍を統括
する騎士団長様には、引き際を見極めることの出来る能力が必要なのでしょう」

「……うん、姫さんもその話には乗らないで?練習にならないから……」

遠い目をした魔王。
一見うまく行ったと思われるこの会話には、どうやら問題があったようです。

「練習はもういいや。とりあえず講義を続けるぞー」
「「はーい」」

勇者の隣で、少女も元気に手を上げています。

「ちょっと楽しくなってきました」
「そうだね、サクラちゃん」

少女の微笑ましい言葉に、勇者と姫は口元を緩めます。
その隣で、魔道師も呆れながら笑っています。

魔王はというと、無礼な態度を取られているのにもかかわらず、とても楽しそうに講義を続けて
います。



そんな様子を見て、私は先ほどの姫の言葉の意味がようやく分かったような気がします。

“ここでは、そういうことは関係ありませんわ”

彼女の言う通り、ここにはこの世に当たり前のようにある階級が見当たりません。
種族の違いすら気になりません。
魔王も勇者も姫も魔道師も少女も関係なく楽しそうに笑っています。

魔王がこの塔に来たがる理由が分かりました。

聖王たる魔王は、ここではただの一人の男になれるのです。

人々に尊敬され、崇め讃えられる偉大な人物達が、世間から与えられた地位を脱ぎ去ること
が出来る場所。
それがこの塔なのかもしれません。

そう言う場所は、きっと偉大なる魔王様にも必要です。
もう二度と、この塔に来ることを止めないでおこう。
そう心に誓います。

魔王の講義は盛大な拍手を持って終えました。
そして、上機嫌で私の肩に腕を回します。

「おい、ヤーウェイ!さっそく今の講義の実践をしに行こうぜ、ナンパだナンパ」
「ナンパ……ですか?」

先ほどの講義によると、ナンパとは女性に声をかけて誘うことだそうです。

「はぁ、ではさっそく」

先ほど、エリア姫との会話に失敗したので、次は少女に声をかけてみます。
私は少女の目線に合わせて片膝をつくと、出来るだけ穏やかな表情をします。

「お嬢さん、お名前は何ですか」
「サクラです!」

元気な返事にこちらの気分まで明るくなって来ます。

「もしよろしければ、今度城まで遊びに来ませんか?」

きっと魔王も喜んでくれることでしょう。
少女は胸の前で両手をあわせると、顔を真っ赤にします。

「う、うわぁ、物語の中の本当の騎士様みたいです。
 カッコイイ……」
「ようやくそれっぽい奴が出てきたな」

魔道師もなぜか満足そうです。

突然、背後に凶悪なまでの殺気を感じます。
慌てて振り返ると、魔王と勇者が固く拳を握り締めています。

「てっめぇ……オレのお嬢ちゃんに声をかけるなんて百億年早いんだよぉ……」
「誰が魔王の何だって?でもその前に、サクラちゃんに声をかけるなんて不届き千万!!」

「は?いえ、あの?」


「歯ぁ、食いしばれぃい!!」
「天誅!!」


私が最後に聞いたのは、妙に息の合った二人の掛け声でした。





それから数日後。
未だに傷が癒えず、包帯を巻いている私を魔王は軽く笑い飛ばします。

「いやーわりぃわりぃ!ちょっとカッとなっちゃってよ」
「危うく私は死ぬ所でしたが?」

「うん、さすがに反省してるって」

まぁ、魔王と勇者の攻撃を受けて生きていると言うことは、それなりに手加減はしていてくれた
のでしょう。

「あー、えっとその、だ。今からまた塔に行くけど、お前も来る?」

「絶対に行きません」

「だよなーはは」

あの怪我以来、騎士団長が魔物に襲われただの、三角関係のもつれで女に指されただの、
様々な噂が飛び交いました。

そのお陰で、魔王が言っていた私の“イケメン”像とやらは崩れ去ったらしく、
変な言いがかりをつけられることもありません。



嬉しそうに出かけていく魔王を見送りながら思いました。

私にはまだ恋愛は早い、と。








END











アトガキ>
遅くなってしまいましたが、感謝祭(←前のサイト)でいただいたリクエスト品「魔王の恋愛講座」でした。
ちゃんとリクエストにお答えできているかはさておき、書いている私は楽しかったです(笑)
素敵なリクエストをありがとうございました!